経歴
1984年9月19日生まれ、京都府福知山市出身。ポジションは投手、右投右打。
2005年ドラフト希望入団枠でトヨタ自動車から中日ドラゴンズに入団。背番号『19』。
ルーキーイヤーから一軍に登板。2008年から本格的に先発ローテーションに食い込み、2009年には東京ヤクルトスワローズの館山昌平とともに最多勝のタイトルを獲得している。
球速は決して速くはないが、通算与四球率(与四球率=1試合9イニングスでどれだけ四球を与えるかを示す確率)が武田勝(北海道日本ハムファイターズ)、石川雅規(東京ヤクルトスワローズ)に次いで低く、抜群の制球力を誇る。また(パワプロでいう)尻上がりもち。
社会人の先輩の金子千尋(オリックス・バファローズ⇒北海道日本ハムファイターズ)の影響をもろに受けて風水に凝っている。
2012年に右肘の肘頭骨棘骨折で翌年に手術をしたが思わしくなく、翌年6月に右肘内側側副靱帯の再建手術(トミー・ジョン手術)と右肘関節内クリーニング手術をした。その為、2013年以降は勝利は1桁台で、2016年に6勝(7敗)が最高だった。
2020年、投球フォームを大改造し開幕ローテーション入りもしたが、1勝どまりで2軍暮らしが続いたこと、吉見自身も「若い投手が出てきている」と自分の立ち位置を見つめ直す機会が増えたことから10月に現役引退を表明した。