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ミュージックフェアの編集履歴

2020-11-17 00:05:09 バージョン

ミュージックフェア

みゅーじっくふぇあ

「♪歌おう 踊ろう 今夜は夢の ラララ ミュージックフェアー」でおなじみの音楽番組。シオノギ一社提供。

シオノギ・ミュージックフェア』(SHIONOGI MUSIC FAIR)は、1964年8月31日からフジテレビ系列(一部の局を除く)で放送されている音楽番組である。

現在は土曜18:00-18:30に放送されている。フジテレビの番組としてだけでなく、日本の民放でレギュラー放送されている音楽番組の中の最長寿である。フジテレビ系列で地域限定スポンサードネットにより同時ネットとなっているが、スポンサードネットの対象から外れた放送局では放送していない。

タイトルの通りシオノギ製薬一社提供番組だったが2016年4月以降は子会社のシオノギヘルスケア移行されたものの、未だにシオノギ製薬名義となっている。


概要

1964年3月29日に特集番組として放送されたことに端を発し、同年8月31日にレギュラー放送開始。落ち着いた雰囲気で、毎回異なる歌手の共演を行う。


トークコーナーでは、司会が季節やゲストにまつわるテーマを挙げてトークを行い、ゲスト同士でもトークを繰り広げる。スティービー・ワンダーやマイケル・ジャクソンなど海外の大物アーティストも出演している。


放送開始時から1983年9月29日まで、2回枠を移動(月曜21:00→火曜21:30→木曜22:30)しながらゴールデン・プライムタイムで放送され、1983年10月2日から2001年3月25日まで深夜(日曜23:00)で17年半放送された。日曜23時時代は、シオノギの30秒などのCMを放送し、本番組が始まるものだった。

2001年4月7日にこれまで夕方の全国ニュースを放送していた土曜18時台前半に移動し、現在に至る。


番組タイトル

1999年まで『ミュージックフェア』の後に、西暦の下2桁('yy)を添えていたが、2000年以降は行わず。

2001年4月7日に4度目の枠移動と同時に『MUSIC FAIR 21』となり、2008年9月27日まで続いた。2008年10月4日から『MUSIC FAIR』となっている。


オープニング

オープニングテーマは保富康午が作詞、山本直純が作曲。

歌手はザ・ピーナッツ→森山良子→サーカスを経て、現在はゴスペラーズが歌唱している。過去映像を使用した名曲セレクション回ではサーカス版が流れる。

1997年3月まで「♪歌おう 踊ろう 今夜はみんなの ラララ ミュージックフェアー 輝く喜び 今夜は夢の ラララ ミュージックフェアー」と歌っていたが、同年4月からは「♪歌おう 踊ろう 今夜は夢の ラララ ミュージックフェアー」と歌っている。


公開収録

番組開始から10年ほどの間公開収録を行っていたが、現在は節目を迎えた場合のみに行われている。


司会

初代越路吹雪1964.8.31-1964.12.28
2代目左幸子1965.1.4-5.31
3代目南田洋子長門裕之1965.6.7-1981.12.24単独司会の時期あり
4代目星野知子1982.2.7-1983.3.27
5代目古手川祐子1988.4.3-1995.10.1
6代目鈴木杏樹1995.10.8-2001.3.25
7代目鈴木杏樹恵俊彰2001.4.7-2016.3.26
8代目仲間由紀恵軽部真一2016.4.2-現在2018.8.5-2019.2.32は仲間が産休に入り加藤綾子が代行

軽部はフジテレビアナウンサー、加藤はフリーアナウンサー(元フジテレビアナウンサー)


放送局について

フジテレビ、北海道文化放送岩手めんこいテレビ仙台放送さくらんぼテレビテレビ静岡富山テレビ東海テレビ関西テレビ岡山放送テレビ新広島テレビ愛媛高知さんさんテレビテレビ西日本テレビ長崎テレビ熊本テレビ大分の17局で放送されている。シオノギ製薬の本社はカンテレのエリアである大阪市にある。


過去には以下の放送局で放送された。

  • 札幌テレビ:日本テレビ系列。1972年3月までフジテレビとのクロスネット局。
  • 秋田テレビ:1969年10月開局から。1981年9月打ち切り。
  • 山形テレビ:テレビ朝日系列。1970年4月開局から。1981年9月打ち切り。1991年3月までフジテレビ系列。
  • 新潟総合テレビ:1968年12月開局から。1973年12月打ち切り。
  • 長野放送:1969年開局から。1981年9月打ち切り。
  • 石川テレビ:1969年開局から。1981年9月打ち切り。
  • 福井テレビ:1969年10月開局から。1981年9月打ち切り。
  • 山陰中央テレビ:1970年4月開局から。鳥取県では1972年9月22日から放送。1981年9月打ち切り。
  • 広島テレビ:日本テレビ系列。1975年9月までフジテレビとのクロスネット局。
  • テレビ山口:TBS系列。1970年4月開局から。1981年10月-1983年9月の間は放送中断。2000年6月打ち切り。1987年3月までフジテレビとのクロスネット局。
  • 九州朝日放送:テレビ朝日系列。1964年9月までフジテレビとのクロスネット局。
  • サガテレビ:1970年代に放送実績あり。
  • 沖縄テレビ:1981年9月打ち切り。

その他

放送当初は地域を限定しないスポンサードネットの番組だった。しかし1981年10月の2回目の枠移動後に地域を限定したスポンサードネットとなり、そのスポンサードネットから漏れた多くの局では1981年9月にネットを打ち切りとなった。この時はフジテレビや関西テレビなど9局となり、北海道・東北・北信越で放送されない状態となった。

その後一部の系列局でスポンサードネットの対象となったために放送が再開され、現在は17局で放送されている。


シオノギのCMがトラウマ?

1960年代から70年代にかけての、ミュージックフェアをご覧になった方は、塩野義製薬のCMが怖いという印象を受けると多いのではないだろうか。長きにわたって、企業CM中心で放送しており、「シオノギはあなたの健康に奉仕するため 今日もたゆみない努力をつづけています」と銘打ち、総合ビタミン剤、総合感冒薬、解熱鎮痛剤のの3つをセットとして、薬店で手に入る市販薬(OTC医薬品)の宣伝をミニ・インフォマーシャル形式でオンエアしていた。本編終了後のエンディングでは、シオノギの社章である分銅マークについての説明を述べるCM、という構成となっていた。


これは当時、日本のテレビ業界が、まだCMにおけるBGMの必要性を認識していた人物が少なかったことや、映像機材が高価であったことに加え、宣伝にも多額の費用がかかる時代だったこともあって、このような恐怖感あるCMとなってしまった。


関連動画




また、エンディングでの提供読み『皆様の健康と幸福に奉仕するシオノギ製薬がお送りしました。』についても、2001年4月に放送時間が変更されるまで、無音状態が続いていた。


関連タグ

題名のない音楽会:取り上げる音楽は異なるが本番組同様長らく一社スポンサーだった音楽番組。テレビ朝日系列フルネット24局で放送されているほか、他系列でも放送している局が存在する(そのうちの1局はミュージックフェアを放送していない福井テレビ)。


外部リンク

公式サイト

スポンサー・シオノギ製薬公式サイトでの紹介ページ

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