概要
初の量産液体式気動車キハ10系の成功に自信をつけた国鉄が、優等列車に使用するため車体を大型化し居住性を客車と同等のレベルまで引き上げた形式。
先行試作車は上野(後に東京)-日光間を走る準急「日光」に投入され、それまで東武鉄道と観光客輸送の競合で苦戦していた国鉄が競争力を取り戻すことに成功した。
この準急「日光」の成功から本形式は日光形気動車と呼ばれることもある。
その後「日光」での成功を皮切りに全国各地の準急・急行列車に投入され、それまでの客車列車よりも高速な都市間ネットワークを築き上げた。
しかし準急列車の急行格上げや準急列車自体の全廃、急行形気動車キハ58系の投入により、急行では接客設備で劣る本形式は次第に優等列車の運用を外れて地方ローカル線での普通列車の運用に就くようになり、末期では首都圏色に塗り替えられた車輌も存在した。なお、急行色でも優等列車使用時と優等列車使用からの撤退後で微妙に異なっている(額部分の赤いラインがあるのが前者、無いのが後者)。
1987年2月までに全車が廃車。廃車時期が国鉄民営化直前ということもあり、保存車は無い。
形式
全車が片運転台である。
- キハ55
- 2台エンジン搭載の3等車(後の普通車)。
- キハ26
- 1台エンジン搭載の3等車。
- キロハ25
- 1台エンジン搭載の2等(後のグリーン車)・3等合造車。後にキハ26形300番台に格下げされ、さらに荷物車キユニ26・キニ26に改造された。
- キロ25
- 1台エンジン搭載の2等車。後にキハ26形400番台に格下げされる。
初期型はキハ10系同様のバス窓・DT19台車を装備していたが、3次車から台車が後の国鉄形気動車で長く使われることになるDT22に変更され、4次車から窓が一段上昇窓に変更された。
なお、「キハ55系」はあくまで同一の設計思想で設計された形式を便宜的・趣味的に用いられた呼称であり、正式の系列名ではない。
私鉄向けの同型車
南海電気鉄道と島原鉄道で国鉄直通用に同系車が製造・運用された。
南海電鉄向け
1959年の紀勢本線全通に合わせて運転を開始した難波と南紀方面への直通列車用に製造。
形式はキハ5501・5551で、5501は片運転台、5551は両運転台。国鉄のキハ55をベースとしているが、5551は両運転台と5501との座席定員一致を両立させるためデッキと座席配置が独特で、便洗面所が省略されているという特徴がある。
その他には窓下部分に「南海」の行灯、側面窓下に保護棒が設置されているのが国鉄車の違い。
運転開始時にキハ5501・5502・5551の3両が用意され、1960年には追加でキハ5503・5504・5552、1962年にもキハ5505・5553・5554が投入されている。
運用開始後、南海線内は特急扱いで運行。東和歌山で国鉄天王寺発の列車と併結し、白浜口・新宮まで準急→急行として運行した。
1973年、踏切事故に被災したキハ5505が廃車となり関東鉄道へ譲渡された。
国鉄の車両がキハ55系からキハ58系に置き換えられ、1969年から冷房化も開始されたがキハ5501・5551に冷房電源用発電セットが搭載できないために冷房化が出来ず、特急くろしおの運転開始後南海難波発着の急行は徐々に減便され、1985年に廃車となった。廃車後、残存していた全車が解体処分されたため現存しない。
関東鉄道キハ755形
踏切事故に被災し、南海で廃車となったキハ5505を関東鉄道が譲り受け、改造した車両。
関東鉄道入線に際し、西武所沢車両工場で座席のロングシート化と出入口の増設を行った。しかし出入口の増設に際して車体中央を排気管が通っている関係で3ドアにすることが出来ず、代わりに幅1300mmの両開きドアを車体中央部に増設。気動車としては異例の片側4ドア車として竣工している。
2エンジンで馬力に余裕があることから、常総線でトレーラー車の牽引車として運用されていたが1989年に廃車された。
島原鉄道向け
国鉄直通準急列車への使用を念頭に1960年に登場。
形式はキハ26・キハ55で、キハ26が合計3両、キハ55が合計6両製造された。
全車両が両運転台車で、トイレも設置されている。初期型は空気バネ台車を装備しているが、最終増備車はキハ58系相当のコイルばね台車となっている。
キハ26は1972年に発電用エンジンとAU13形冷房装置の組み合わせで冷房化が行われ、キハ55系列で唯一の冷房車となった。
冷房化で車両の全高が島原鉄道の車両限界を突破するため、特認を得た上での設置されたとのこと。
キハ55系列としては最も遅くまで生き残っていた個体であり、1997年にキハ2500形へ置き換えられる形でキハ26が、2000年に工事列車の牽引用に残存していたキハ55が全廃された。