プロフィール
人物
1952年、近鉄パールズに捕手として入団。
選手としては6年間の現役生活で70安打、2ホームラン、打率.189であった。
その後は近鉄パールズの二軍コーチなどを経て3球団の監督となる。
就任していた11年間でAクラスとなったのは初年度カープの3位のみ(貯金終了は4度)であったが、退任した後にチームが花を咲かせた(広島→3年後、西武→翌年、ダイエー→5年後に優勝)事もあり球団の基礎作りにおいて大変な力を発揮した。
1999年4月30日、逝去。その年、ダイエーホークスはリーグ優勝・日本一となり、胴上げの席には彼の遺影が飾られた。
球界の寝業師伝説
そんな彼の異名は、「球界の寝業師」である。その数々の手腕により、所属チームを栄光へと導いた。現在ではボーダーラインどころかアウトめいた話も多く、それが彼の手腕を一層引き立たせていると言えよう。
西武時代
・松沼兄弟を巨人を上回る契約金を出して獲得。
・「秋山幸二は大学に進学する」って噂を流しておいてドラフト外で獲得。
・伊東勤を熊本から埼玉に転校させ、さらに球団職員にしてドラフト1位で獲得。
・石井丈裕は怪我をしている(以下略)、ドラフト2位で獲得。
ダイエー時代
・「巨人を家とすれば、長嶋茂雄は長男で王貞治は次男。次男は家を継げない」と言って王貞治を自分の後継に据える。
・駒澤大学進学を決めていた城島健司を強引に獲得。「もう二度とホークスに選手を入れない!」と野球部監督から言われる。
・自分が築いたも同然の西武黄金時代のメンツをFAで獲得。
・西武の時と同様に社会人の伝手を使い、小久保裕紀・井口資仁・松中信彦らを逆指名で獲得。
ドラフト外は1991年、逆指名は2006年をもって廃止されたことからしても、いかに根本陸男と言う人物が球界のシステムを駆使して成果を上げたかお判りいただけよう。
まあ、今のホークスは別のシステムを駆使してとんでもないチームになっているのだが……。
関連タグ
清原和博 現役時代唯一恐れていた人物とされる。その彼がいなくなった結果……