Street Dog
概要
本名「ジョナサン・デヴィッド・グッド」。1985年12月7日生まれで、オハイオ州シンシナティ出身。
高校在学中にHWA(ハートランド・レスリング・アソシエーション)に入門、しかし18歳までトレーニングの許可は出ず、高校を中退すると会場でポップコーンの売り子などをしていた。
トレーニング開始の翌年、2004年6月に「ジョン・モクスリー」のリングネームでデビューする。2005年にタッグ王座、2006年にシングルのヘビー王座を獲得。
2009年、「ドラゴンゲートUSA」に参戦。そこでブライアン・ケンドリックとタッグチームを組んでいる。
2011年にWWEと契約し、「ディーン・アンブローズ」のリングネームで下部団体FCWに参戦。後に組むセス・ロリンズやスティーブン・リーガルと抗争に及んでいる。
2012年11月、セス・ロリンズ、ロマン・レインズと共にWWEのPPV「サバイバーシリーズ」のCMパンク、ライバック、ジョン・シナによる三つ巴の王座戦に乱入、翌日のRAWにて3名は ザ・シールドを名乗る。
チームはトリプルHの立ち上げたオーソリティーに加わりヒールとして人気を高めていった。チームとして活躍する中、2013年にシングルプレイヤーとしてUS王座も獲得する。
2014年、オーソリティーに反旗を翻したザ・シールドはベビーターンするも、ロリンズの裏切りで解散、アンブローズはそのロリンズとの抗争を展開した。
2016年PPV「マネー・イン・ザ・バンク」で王座戦行使権を獲得し、その当日にロマン・レインズから世界ヘビー級王座を奪ったばかりのセス・ロリンズに挑戦権を行使、王者となった。
2017年4月、WWEアナウンサーであるルネ・ヤングと結婚。
同年10月、ザ・ミズ、シェイマス、セザーロとの抗争によりザ・シールドを再結成。しかし、12月にハウスショーで右腕を負傷し、長期欠場となった。
2019年にWWEを退団し去就が注目されていたが、AEW旗揚げ興業のメインイベント「クリス・ジェリコvsケニー・オメガ」にて、勝利したジェリコがマイクアピール中に突如乱入。ジェリコ、レフェリー、ケニーと次々にパラダイムシフトを決めた後、ケニーを高所より投げ捨てた。
その後、ジョン・モクスリー名義でAEWに入団することが発表された。更に同日、新日本プロレスのIWGP USヘビー級王者であるジュース・ロビンソンへの挑戦表明の動画を公開し、6月5日の両国国技館にてロビンソンを破って戴冠を果たした。(台風の影響による飛行機のトラブルで返上している)
その後AEWにて最高王座を獲得。ブライアン・ダニエルソンやクラウディオ・カスタニョーリの元WWEのメンバーもいるザ・ブラックプール・コンバット・クラブというユニットを立ち上げてAEWの中心選手として活躍。2024年には新日本プロレスシカゴ大会で対決したIWGP世界ヘビー級王者の内藤哲也を王座戦で破りIWGP世界ヘビー級王者となった。
エピソード
表情が豊かであり、特に『気味の悪い笑顔』はかつてそれが売りだったDDP同様に本当にサイコパスなのではないかと思えるほどにコワイ。
奥様のルネ・ヤングがコロナに感染したため一時AEWへの出場を見合わせていた。
2006年に「ジョン・モクスリー」名義で2回WWEに「やられ役」で出場している。のだが、ピンクの髪にあの独特の笑顔なので気持ち悪さはかなりのものだった。
WWEとの契約を更改せずに退団した理由は、「ライターがロクなストーリーが書けず、もし書けても今度はビンスがそれを一切認めなかった。直談判したが相手にされなかった」から。WWE所属末期はヒールだったのでかつての盟友で白血病によって一時引退していたローマン・レインズの病気を揶揄する事を求められた事もとても嫌だったと語っている。
得意技
フィニッシュホールド。いわゆるダブルアームDDT。
但し、2014年まではヘッドロックした状態で相手を前方へ倒して頭部をマットに叩きつける技であった。
WWEでは「ダーティ・ディーズ」、新日本プロレスでは「デスライダー」と称する。
相手にロープに振られた際、セカンドロープとサードロープに捕まって、その隙間から上半身を出して止め、その反動を使って相手に放つラリアット。
エアルナティック
いわゆるトペスイシーダ。
関連動画
入場曲「Retaliation」
Dean Ambrose's Dirtiest Deeds: WWE Top 10 {2015}
(WWE公式フル動画)
外部リンク
プロフィール(新日本プロレス)
Wikipedia(ジョナサン・グッド表記)