概要
現在存在するのは二代目であり、初代は1909年に江戸時代以降大相撲興行を行ってきた回向院内に建てられ、巨大なドーム屋根から「大鉄傘(だいてっさん)」と呼ばれたが、太平洋戦争末期の空襲で焼け落ちたあと紆余曲折を経て「日大講堂」になり、現在の国技館が建てられる直前の1983年に取り壊された。
その後、1949年に台東区の蔵前に仮設移転(その後本設になる)、1985年に再び墨田区に現在の国技館が完成する。このため国技館としての歴史は古いが、建物自体の歴史は意外と浅い。
日本相撲協会が保有しており、協会が開催する大相撲の本場所のうち、初、夏、秋場所が行われる施設であり、土俵などが常設されている。
だが、蔵前国技館で土俵の上にステージやリングを直置きしていた反省からか、土俵を地下に沈め、吊り屋根を天井高くに上げ、枡席を動かすことでアリーナを作ることができ、これを活かしてボクシングなどの格闘技やライブ会場で使われる事も多い(大日本プロレスで行われているデスマッチも可能だが、蛍光灯・ガラス・画鋲など、破片等が飛散する凶器の使用は禁止)。東京オリンピック(2020年)でもボクシング会場としている。キャパシティは11,000人ほど。
土俵の地下深くには巨大な焼き鳥工場がある事で知られている。これは、相撲において鳥は縁起のいい動物と見られているためで、ここの焼き鳥は本場所や新宿駅で販売している。
他のイベント会場同様、何もやってない時には入れないが、相撲協会の本部を始めとした相撲協会施設のほとんどが集中し、この中でも協会が運営する相撲博物館はいつでも基本無料で入れ、相撲診療所は相撲とついているが、一般の診療も受け付けている。
住所は?
両国国技館の住所は東京都墨田区横網(よこあみ)であり、横綱とはしばし間違えられる事でも有名。地名の由来は元々この場所が隅田川沿いで、網を張る漁師がたくさん訪れる地だったから。相撲の聖地である事や部首が糸偏である事だけでなくつくりも五画目までは全く同じため実にややこしい。
実は現両国国技館が完成間近の頃、実際に区が横網の住所を横綱に変えようと打診しようとした事もあった。
なお墨田区に両国という地名は実在し、横網からJR線を跨いだ場所に位置する。なぜ両国国技館が両国ではない所にあるのかは先述した通り、初代国技館が両国の回向院にあったためであり、その名残である。
しかし、両国=両国国技館のイメージがあまりに強くなってしまったためか両国駅(JR総武緩行線・都営大江戸線共に)の住所も国技館からすぐ近くの横網となっている。
ちなみに、江戸東京博物館は建物のすぐ隣にあり、かなり近い。
関連イラスト
初代両国国技館