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マチカネフクキタルの編集履歴

2021-05-24 16:53:16 バージョン

マチカネフクキタル

まちかねふくきたる

1994年生まれの競走馬。1997年菊花賞優勝。

※当馬をモデルとするウマ娘については「マチカネフクキタル(ウマ娘)」を参照。


概要

生年月日1994年5月22日
英字表記Matikanefukukitaru
性別
毛色栗毛
クリスタルグリッターズ
アテナトウショウ
母の父トウショウボーイ
競走成績22戦6勝

馬主は細川益男。栗東二分久男厩舎。

母の母の母ローズトウショウの一族にシスタートウショウウオッカなど。

更に遡るとシラオキにたどり着く名牝系。

馬名は「競馬ブック」で公募された。同期のマチカネワラウカドは相方のような扱いを受けることが多い。


※馬齢は数え表記


1996年11月30日阪神競馬場新馬戦ダート1200m、2番人気3着。1着キョウエイマーチからは1.8秒差。折り返しの新馬戦でも4着。

1997年3月15日未勝利戦を勝ち上がる。4月6日君子蘭賞2着。4月19日ムーニーバレーRC賞1着。

5月10日プリンシパルステークス6番人気ながら1着のサイレンススズカにクビ差の2着、日本ダービーの優先出走権獲得。ダービーは11番人気7着。

7月5日福島競馬場第10レースさくらんぼステークス、武豊騎乗で1番人気1着(武豊は福島初参戦、第11レース七夕賞マイネルブリッジで制しJRA全10場重賞制覇を達成)。

9月14日神戸新聞杯、サイレンススズカが1番人気で逃げ切りを図るがゴール前でマチカネフクキタルが差し切った。京都新聞杯では1番人気、直線抜け出して1着。

11月2日菊花賞、3番人気、直線抜け出して1着。キタノカチドキ以来となる神戸新聞杯-京都新聞杯-菊花賞の3連勝を達成。


鋭い差し脚でクラシック期に勝利を重ねたが、古馬になってからは故障により順調を欠いた。

2000年6月、右前浅屈腱炎を発症し引退。


2001年シーズンから種牡馬。目立った成績を残した産駒はなかった。

2010年、種牡馬を引退。小須田牧場(山梨県)で余生を過ごした。

2020年7月31日、老衰のため26歳で死去。


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