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平田昭彦の編集履歴

2021-06-28 20:39:24 バージョン

平田昭彦

ひらたあきひこ

平田昭彦とは、昭和20年代後半から50年代まで活躍した日本の俳優。

概要

本名・小野田昭彦。


1927年12月16日、日本の植民地だった朝鮮半島のソウルで生まれる。


東京大学(東大)卒業後、商社に入社したが、兄の小野田嘉幹が(裏方という形で)新東宝に入社した上、東大在学中に自身がその新東宝でお手伝いをした事がある事から映画界に興味を示していた。さらに、女優・山口淑子のすすめもあり一念発起、1953年に東宝に入社した。


スマートな出で立ちを生かし、様々な映画テレビドラマで活躍したが、1984年7月25日にこの世を去った。56歳の若さだった。


1961年に結婚した久我美子との仲の良さでも知られた。また、妹も、「音羽美子」という名前で女優活動をしていた事がある。


特撮俳優

1954年12月に公開された「初代ゴジラ」で、自らの命と引き替えにする恰好でゴジラ抹殺に成功した科学者・芹沢大助を好演、以後、ゴジラシリーズを始めとする数々の特撮映画に出演した。


さらに、テレビ特撮ドラマ「ウルトラマン」では、初代ウルトラマンを倒したゼットンを倒す兵器を開発した岩本博士を演じる一方、「愛の戦士レインボーマン」では秘密結社死ね死ね団のボス・ミスターKを怪演している。


また、「ゴジラ」“復活”にも尽力しており、そのために芹沢大助のコスプレまでした事があった。そして本当に復活した際には、「ゴジラ」で自身が演じた芹沢と、志村喬が演じた山根恭平を足して2で割ったような生物学者・林田信を演じるはずだったが、体調不良で断念、新聞の編集長で特別出演(あまり出番はない)することになっていたが、結局かなわなかった。


なお、東宝時代からの親友だった佐原健二によると、「君『ウルトラQ』で万城目パイロット演じてたでしょ?あれ僕がやりたかったのにぃ!!」と佐原に言った事があったという。なお、佐原自身も平田同様ゴジラシリーズの常連俳優である。


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