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植村直己の編集履歴

2021-08-30 15:26:38 バージョン

植村直己

うえむらなおみ

日本の登山家・冒険家。

「あきらめないこと、どんな事態に直面してもあきらめないこと。結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない」


概要

「冒険の神」「アニマル植村」、「世界のウエムラ」等と称えられる冒険家。

1941年2月12日生まれ、兵庫県出身。

明治大学農学部卒業。


日本人初のエベレスト登頂を成し遂げ、1970年8月には世界初の五大陸最高峰登頂者となった。


登頂順は、ヨーロッパモンブランアフリカキリマンジャロ、南米アコンカグア、ユーラシアのエベレスト、最後に北米・デナリ(旧称マッキンリー)となっている。

このうちエベレスト以外は単独登頂によるもので、70年8月のデナリ登頂も人類初記録。


1978年には、世界初となる犬ぞり単独行による北極点到達の偉業を成し遂げ、ナショナルジオグラフィック誌の表紙を飾った初の日本人となった。

この他日本列島を徒歩で縦断、アマゾン川を単独で6,000kmもで下り、1984年2月12日には、世界初の「冬季のデナリ単独登頂」を達成したりとまさにレジェンド級の冒険家である。

 

しかしこの翌日、日本テレビ局のチャーター機との無線連絡を最後に消息不明となってしまった。

必死の捜索が続けられたが、山頂の日の丸やキャンプ地での遺留品しか発見できず、その後生存確率が0%であることから特別失踪として死亡認定された。

現在に至るまで遺体は見つかっていないため生存説も唱えられたが、状況からしてその可能性は低いと見られている。

 

失踪日の2ヶ月後に日本で国民栄誉賞が授与。

またデンマーク政府は植村に敬意を表し、かつて植村がグリーンランド縦断で到達したヌナタック峰を「ヌナタック・ウエムラ峰」と改称した。


さらに1988年にはアメリカ人によって冬季デナリ単独登頂と下山が成功し、1998年には日本人の冬季単独登頂下山が記録されるなど、植村の遺志は確かに受け継がれているようだ。


関連項目

冒険家 登山家 登山 冒険

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