概要
鹿児島本線門司港-久留米間の交流電化開業に合わせて22両が1961年から1962年にかけて東芝で製造された。
構造
車体
前面は非貫通型。
デザイン上の特徴は、前頭部が横から見ると「く」の字型に出っ張っていることで、鳩胸と通称される。
九州地区では電気機関車牽引の旅客列車についても蒸気暖房を継続使用の方針が採られたため、列車暖房用蒸気発生装置を搭載しており、重量増加による軸重を軽減するため国鉄の電気機関車としては初めて中間台車を採用している。
なお、1970年代以降一般客車による旅客列車が減少したのとED76に比べて蒸気発生装置の取り扱いが若干難しかったため、一部車両については蒸気発生装置に関連する機器類(蒸気発生装置本体・燃料タンク・水タンク)を撤去した。
姉妹機に、中間台車を廃止し全長を短縮したED73がある。
デザインは本形式を踏襲し、特徴的な鳩胸を受け継いでいる。
機器類
制御方式は高圧タップ切換方式・水銀整流器格子位相制御・弱め界磁制御を採用。変圧器は乾式、整流器は風冷式イグナイトロン水銀整流器を搭載している。
なお、1970年代に保守や取り扱いが容易なシリコン整流器に交換された。元々水銀は毒性のある有害物質である。加えて、水銀整流器は液体の水銀を容器内におさめて電極に使う一種の真空管で、車両用は揺れる環境下で運転するので地上用より扱いに難があったためである。
但し水銀整流器で可能であった位相制御をシリコン整流器は行えず、電圧制御は高圧タップ制御のみとなったため、粘着性能は低下した。ED72が元々使っていた水銀整流器同様の機能を持つサイリスタへは置き換えられなかったためである。
運用
ED72は蒸気暖房を搭載することから電気暖房を搭載しない客車を使用した旅客列車の牽引から蒸気暖房を必要としない貨物列車の牽引、花型運用であるブルートレインの牽引にも活躍した。
ただし軸重の関係で鹿児島本線熊本以北などの北部九州地区での運用に限定されていたが、長崎本線に関しては戦前戦中に長崎港を経て上海へ至る中南支方面への重要補給ルートに位置づけられており、軌道が強化されていた事から電化開業後に入線した実績がある。
しかし、1968年以降は20系客車のブレーキシステム変更により、その対応装備を持たない本形式はブルートレイン牽引から撤退。対応改造が施工されたED73に任務を譲っている。
さらに山陽新幹線全通による本州直通夜行列車の大幅な廃止などで一般客車列車が減少したことから、これらの運用も蒸気暖房の操作が容易なED76に集約されるようになっていたが、その一方で、牽引機関車側に特別な装備を必要としない14系・24系客車に寝台特急車両の置換が進んだことから、再びブルートレイン牽引運用にも投入された。
試作機である1・2号機が1976年に廃車されたのを皮切りに本形式の廃車が進み、1982年までに全廃。1号機だけが解体を免れ、現在は九州鉄道記念館に保存されている。