概要
「ビーガン」とも。
「動物への搾取を避けて生活すべきである」という「ヴィーガニズム」に基づき、動物製品を使用せず生活する人のことを指す。日本では時に「完全(絶対、厳格な)菜食主義」と訳されるが、これはヴィーガンの本来の定義とは合致していない。
ベジタリアンの一種、あるいはそれと混同されることが多いが、ヴィーガンのそれは基本的に「衣食住のすべて」に動物製品を使用しない点が大きく異なる(ベジタリアンは基本的に「食」の部分のみ)。ただし、結果として菜食を行うことから、広義のベジタリアンに分類されることが多い。
また、動物性の「食品(一部生活用品)のみ」を避けたり、「これ以上手に入れない」という考えで、元々持っていた皮革製品や毛皮などを使い続けたりといった人もいるため、必ずしも動物製品を使っている=ヴィーガンではないということではない。
ベジタリアンが健康や宗教的価値観を理由にすることが多いのに対し、ヴィーガンはエコロジーや動物愛護など、道徳的・倫理的な理由で動物製品を避けることでなる人が多いとされ、日本ベジタリアン協会ではヴィーガンを「動物に苦しみを与えることへの嫌悪から動物性のものを利用しない人」と定義している。
その性質上、自身だけでなく他者が動物製品を用いることにも嫌悪感を持つ人が多い。
特定の思想に基づく食生活の実践という意味ではマクロビオティックなどと通じる部分があるとされる。特に東洋では宗教上の理由から精進料理の一環としてヴィーガン的な生活志向を取り入れている人も多い。
現代ではベジタリアンとともに知名度が高まってきたこともあり、「ヴィーガン料理」として動物性の食材を使わない料理を提供している料理店や、そのようなインスタント食品を販売する食品会社なども増えている。
中世日本では、僧侶は魚も食べずヴィーガンそのものの食生活をしていたが、末法の世では戒律を守ったところで救われないとして親鸞以降一部の宗派では肉食をするようになった。
健康との関わり
医療技術や食料生産の向上で、現代ではヴィーガンも多種多様な食材を口にし、サプリメントを摂ることで健康的な生活を送ることが可能になっているとされる。
ヴィーガンの食生活に対し「偏食であり不健康だ」「それに適した体質でなければ続けられない」「子どもが実践しようとすると栄養失調や発育不良に陥る」などと否定的なイメージを抱いている人は多い。
しかし、アメリカ・カナダの栄養士会も認めている通り、動物由来の食材を一切口にしない食生活でも健康維持に必要な全ての栄養素が摂取できる上、菜食は高血圧症や糖尿病、認知症をはじめとする様々な疾患の発病リスクを下げるという研究結果も報告されている。尚、先述の栄養士会によると菜食は乳幼児期や妊娠期・授乳期も含む全てのライフサイクルに於いて実践可能であると考えられている。
菜食では摂取しづらい栄養素があるのも事実である。例えば、ビタミンB12については(日本人になじみのないマーマイトなどをとらない限りは)ヴィーガン食だけでは摂取できないため、多くのヴィーガン団体や医師はサプリメントによる接種を奨励している。また、青魚に多く含まれるDHAやEPAも同様である。
一方で、子供に厳格なヴィーガン食を強いた結果、栄養失調や代謝不良が原因で病気になってしまったという事件が報じられている。これ以外にも複数の国で、子供にヴィーガン食を強制する保護者による虐待が報じられており、少なくとも子供に対して適切な栄養管理が難しい環境での実践は難しいと言える。
日本では「菜食者18名(玄米菜食者の女性)を対象とした研究において、菜食者の44%がタンパク質必要量を摂取しておらず、エネルギー、その他の栄養素が顕著に低い」という調査結果が存在する。
これに加え、少なくとも2021年現在、日本の研究機関からは「乳幼児や成長期の子供、妊婦などたくさんの栄養が必要な時期に菜食を実践して全く影響がない」ことを証明する研究結果は出されていない。
先述の主張や研究結果についても、国や調査機関によってデータの傾向やその解釈は異なるため「この国ではこういう結果だから他の国でも絶対同じ結果になる」というわけではない。
また、ヴィーガンの人は健康や環境、生命倫理の観点から食材にこだわる傾向も強いため、神経症に陥るケースもある。とある統計では、実に84%ものヴィーガンおよびベジタリアンが肉や魚への誘惑に負けたり、健康被害から立ち直るために医師の指示を受けて半年以内に菜食主義を断念しているとのこと。
ヴィーガンと生命
ヴィーガンを語る際にたびたび議論されるのは「何を以って食の境界線を決めているのか?」である。この点でヴィーガン(及び動物倫理学者)が最も重要視するのは、「生きているか否か」「知能を有しているか否か」などではなく、「苦痛や恐怖を感じる能力があるか」である。従って、同じ「命」でも、動物と違って苦痛の感知に必要な侵害受容器や感情を司る神経系を持ち合わせていない植物や菌類、ユーグレナのような単細胞生物は食しても良いとされる。頭足類や昆虫などの無脊椎動物はどうなるかはよく分からない。
昨今の研究では植物も刺激を受けて様々な反応を示す」ことが明らかになってきており、これを基に植物も動物にとっての痛覚に類似するものを有していると主張する科学者も見受けられる。しかし、植物には動物の神経系に匹敵する複雑な器官が備わっていないことを踏まえると、植物は意識を有さず刺激に対してあくまでも(苦痛や恐怖の知覚を伴わない)「反応」を見せるのみであるという可能性が高く、殆どの専門家は「植物は痛みを感じるか」という問いに対し否定的あるいは中立的な見解を示している。
また、「ヴィーガンは植物の命を軽視しているのか」といった問いに対し、肉を1kg生産するのに10kg以上の植物が必要になることから、「本当に植物の犠牲を憐れむのなら、さらに犠牲を強いる牧畜について考え直してはどうか?」という反論もあるが、そもそも肉食者は動物だけでなく植物の苦痛も必要悪として認めているため、お互いに論争が噛み合わないで終わる。農耕を行えば動物や昆虫の住居を奪い、間接的に殺生になるという点はしばしば無視される。
尚、ヴィーガンの中にはシーガン(SeafoodとVeganをかけた造語)という、「ホタテなどの二枚貝は中枢神経が無いから食べても構わない」という主張をする派閥も少数ながら存在する。一般的に動物とみなされるものを食するために主流派のヴィーガンからはヴィーガンとみなされておらず、魚介類と乳製品を摂取するペスクタリアンに近い。
食以外でも、医薬品や化粧品などの動物実験に対し反対の立場を持っているヴィーガンは多い。
しかし、現代の動物実験は厳格・適切に管理された環境で、実対象となる動物への負担を限りなく減らす形で行われていると製薬会社などが主張している。
実験を行う当事者と、ヴィーガンを含む動物愛護者の間でお互いの意見を尊重し合うべきだという意見が、獣医師からも出されている。
ヴィーガンと社会
本来のヴィーガンとはガンジーなどにルーツを持った思想であり、「多くの人間が健康になりたいからという理由で菜食主義となるが、そういった人の多くは健康になった時点で菜食をやめてしまう。これでは健康法であって思想ではない。我々はより菜食主義における精神的、道徳的な理由を突き詰めて考えるべきではないか?」といった問題提起が大本にある。
菜食主義自体はそれこそ古代にまで遡る思想であり、宗教的な禁欲行為と不殺の思想に基づいたものである。そのため菜食を推奨しているヒンズー教やジャイナ教が盛んなインドでは特に顕著で、国民の三割以上(つまり単純計算で四億人)が菜食主義者であり、その中にはヴィーガン思想の人も多く存在する。
但し、ヴィーガニズムそのものは宗教ではなく、ヴィーガン人口の多い欧米などでは通常「思想」や「信条」とみなされる。
イギリスでは、ヴィーガニズムが「哲学的信念(philosophical belief)」として法的に認められており、ヴィーガンに対する差別が「平等法」に基づき違法とされている。
20世紀後半には環境問題や動物愛護思想が先進国の都市部を中心に盛り上がりを見せるようになり、ヴィーガンは宗教的思想からライフスタイル、社会運動の一環など多様化、変容していった。
2010年代より若年層の間で急速に高まる環境問題への意識を反映してヴィーガン人口は急速に増加しており、ベルリンにおいては人口の15%がヴィーガンであるとされている。
過激派問題
社会に対する正義感や使命感が強い傾向のあるヴィーガンは時に肉食愛好者たちとの議論と呼ぶに値しない罵り合いや、酷い時には肉屋襲撃などの暴力沙汰を引き起こすこともある。
また個人の自由でヴィーガニズムを実践するのではなく、企業・国家・社会レベルで肉食を規制せよと主張する過激派ヴィーガンがおり、ヴィーガニズムがエコファシズムと同一視され堀江貴文のようなアンチヴィーガンのアジテーターを生む事態になっている。
日本においては過去肉食が制限されていた時代に、食肉加工に携わる人々が差別された歴史があり、実は既に問題を経験済みであったりする。
大概のヴィーガンは他の思想や宗教の信奉者同様そうした行為は誤解や分断を招く行為であると嫌い、個人や仲間内での実践、あるいは穏当な方法での布教活動に努めている。
pixivでは
アニマルライツとの混同か、全く区別がついていない作品が多い。
関連タグ
動物愛護(アニマルライツ)…動物愛護の思想からヴィーガンを実践する人は多い。
愛誤…「動物愛護」からかけ離れた思想に陥ってしまった活動家や、その思想に共鳴してしまった一部のヴィーガンによる問題行動がたびたび報道されている。