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浅井三姉妹の編集履歴

2012/02/02 03:14:25 版

編集者:榊の龍

編集内容:親記事を「複数名武将」から「お市」に変更。本文一部追記。

戦国時代安土桃山時代江戸時代に生きた姉妹

概要

 永禄10年(1567年)に織田信長お市浅井長政に嫁ぎ、この浅井夫婦の間に茶々の三姉妹が生まれた。

 天正元年(1573年)、浅井家は織田家と対立し滅ぼされ、母と姉妹は織田信包に保護されて尾張へ逃れた。お市は柴田勝家と再婚するも、本能寺の変後の争いで勝家は羽柴秀吉に賤ヶ岳の戦いで敗れ、お市は勝家とともに自害。姉妹は秀吉の庇護を受けた。

 その後三人はバラバラの生涯を歩んでいくが、各々姉妹の絆は最後まで固かったという。

 幼い頃から仲の良かった姉妹は美女といわれた・お市の血を受け継ぎ、三人ともかなりの美貌だったといわれる。

茶々(淀殿)

 長女の茶々は豊臣秀吉の側室となり、豊臣家の後継者となる豊臣秀頼を生み、秀頼の後見人・淀の方となった。徳川家康と対立して大坂の役で指揮を執るも敗れ、秀頼とともに自害した。

初(常高院)

 次女の初は秀吉の計らいで従兄の京極高次に嫁ぎ、高次死後は出家し、大坂の役では両陣営の仲介に奔走した。三人の中では一番長生きした。

江(崇源院)

 三女の江は佐治一成に嫁ぐも秀吉の命で離縁し、秀吉の甥の豊臣秀勝に嫁ぐも秀勝が亡くなり、徳川家康の三男・徳川秀忠の正室となり、徳川家光を生んだ。

戦国大戦において

Ver1.10「1570 魔王上洛す」において浅井・朝倉軍(浅井家)所属として登場。

全員がコスト1の武将として参戦しており、二つ名も全員が「浅井三姉妹」となっている。

茶々(淀殿)

上イラストの左側。

『茶々が見ているぞ、しっかり戦うのじゃ』(開戦前)や、『ぶ、無礼者!』(撤退時)など、気位の高いイメージが強い。

スペックは武力2/統率4の弓足軽で、特技は「魅力」。

計略の「激励舞踊」は敵味方共に士気上昇速度を向上させる舞踊系の計略。

自身が撤退しない限りは、戦闘終了までずっと維持するが、その間は身動きが取れなくなる。

「茶々に逆らうとは、よい度胸じゃ」

初(常高院)

上イラストの右側。

幼い少女らしい風貌だが、台詞回りは『みんな、がんばろうね!』(開戦前)や、『私も戦うもん!』(復活時)など、幼子ながらも勇敢なのがうかがえる。

自分の身の丈程もある刀を振り回そうとしているイラストが特徴。

スペックは武力2/統率4の槍足軽で、特技は「魅力」。

計略「錯乱の呪い」は範囲内の敵味方の統率を下げるというものだが、流転計略のコンボや妹の岩石落としの威力上昇に使える。

三姉妹唯一のレア(姉と妹はスーパーレアに対して)というのは致し方ないのか…

「私も、父上と一緒に戦うもん!」

江(崇源院)

上イラストの中央。

上の姉が高潔・勇敢なイメージなのに対し、『楽しく遊ぼうね』(開戦前)や、『えへ、たのっしいなあ~♪』(計略使用時)など、戦いを遊びと捉えているイメージになっている。

恐らくは、後に将軍の恐妻として歴史に名を残す片鱗なのだろうか。

スペックは武力1/統率5の弓足軽で、特技は「防柵」と「魅力」。

かわいらしいイラストに関わらず計略は「岩石落とし」(自分と命中した対象の統率力の差に依存したダメージを与える)というギャップが特徴。

ちなみに、この「岩石落とし」だが、これは同系統計略「山津波の計」を、「基礎威力はそのままに、使用する士気を1減らす代わりに範囲を狭くした」もの。

なお、通説で考えると生まれていない(背景は1570年・通説は1573年生まれ)設定だが、そのあたりは大目に見ること。

「平和な日がずっと続けばいいのにね♪」

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浅井三姉妹の編集履歴

2012/02/02 03:14:25 版

編集者:榊の龍

編集内容:親記事を「複数名武将」から「お市」に変更。本文一部追記。