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ジェンダーの編集履歴

2022-03-23 11:02:13 バージョン

ジェンダー

じぇんだー

社会的視点から見た性別とその役割。

概要

社会的視点から見て性別ごとにどのような役割を担うのかという考え方。

生物学的な性差である『セックス』に対して、精神的に『自分の性別をどうとらえるか』という、本人のパーソナリティに非常に深く関わるため、かなり繊細な問題として扱われる。

この単語に関する考えた方自体も、国、地域、時代によって大きく変化する為、あくまでもこの項目で述べられていること自体、『21世紀初頭の日本での考え方の一つ』と言う風に考えるべきである。


社会的な例

まず、近代以前の社会的な性差についての考え方というのは、世界的に見て一部の例外を除いてほぼ同一の考え方で統一されていたと言って良い。

つまりは、『男性は外で働き、女性は家を守る』

この考え方は、女性は子供を産みその子供を育てる生物学的な機能から派生したものであり、基本的には出家する以外で女性がこれ以上の社会的な役割を担うことはなかった。


その考え方が大きく変わったのは、近代に入って蒸気機関が開発されたことで人類のテクノロジーが飛躍的に進歩したことである。

機械によって人間に求められる肉体的な労働力の割合が減ったことで、女性の労働力が社会的に大量に必要とされる時代に入ったのだ。

その後、二度の世界大戦によって男性が軍事力として必要とされると、その穴埋めとして女性の労働力が大量に必要になり、第二次世界大戦後には女性の社会進出が以前に比べて大きく浸透していくことになる。


これらの世界的な潮流は日本にも大きく影響を与えており、明治時代に女性の社会進出が始まり、大正、昭和を通して社会的にも女性の役割は大きく変わっていた。

しかしそれでも、バブル期まで日本の女性に対する価値観は、『会社に入社しても結婚すると辞職』すると言う見方が大きく、一度結婚して職を辞めると女性が結婚を維持したまま就職することは非常に難しく、社会的な性差が埋まったとは言い難かった。

そんな中、バブル経済が崩壊した90年代。

夫婦は共働きで家庭を支えるのが当たり前となり、夫が正社員で働いている間、妻がパートタイムで働くというのが一般化したことで、「結婚後も女性が働くのは当たり前」というのが社会的に認識されていくようになる。

その後、00年代に入って女性の雇用機会が不均等であることを見直されるようになった。

また、このころから日本が世界的に見て女性の政治家や、女性の経営者と言った、女性の社会的指導者の数が圧倒的に少ないことも問題視されるようになった。

男女の労働機会が均等でないことに関しては20年代に入っても尚全面的に改善されたとは言い難いが、少なくとも多少は改善されており、社会的な男女差が本当に徐々にでしかないものの、確実に埋まっていることは確かである。


文化的な例

女性が街を闊歩するという事自体が眉を顰められた時代、革新指向の彼女達はしばしば保守派から槍玉に挙げられており、それに対して洋風ファッションを意図的に見せつけるといった形で対抗していた。そうした流れの一環として、「男言葉をあえて用いる」という文化も発生していた。

当時は女性に選挙権も無いような時代であり、学校生活においても女性教育があからさまに軽んじられる事も少なくなかったため、「男性のように振る舞う」事は時に政治的意味すら帯びた。

体制側から見るなら、そうした女性達は反抗期」や「若気の至り」を超えた重大なタブーとして映ったのであり、実際にその後の戦時体制の中で徹底的な弾圧を行った事で一旦の終結を迎えている。


そうした時局の中、「伝統芸能」として地位を築いた「宝塚歌劇団の男役」が「男性的な女性」を戦後に辛うじて伝え、サブカルチャーが発展する1970年代前後からは日常での使用例が再び散見されるようになってゆく。

直接的に再普及のきっかけをもたらした事象やその時期については諸説あるが、「マンガの神様」手塚治虫が自身の作品にそのようなキャラクターを登場させた事が一つの転機になった事は間違いないだろう。

また、アイドルブームの到来で女性歌手が爆発的に増加した事により、差別化のために一人称「ボク」の歌を歌ったり、更には会話そのものを「ボク」で行ったりする例も多発した。メインカルチャーとまではならなかったものの、ボクっ娘は一時期かなり好意的に受け取られるようになった。


しかし、サブカルチャーが深化・細分化するにつれ、一般人の理解が次第に及ばないところとなってゆき、1980年代には「おたく」という語も生まれて批判的に論じられる事が多くなる。

「幼稚な精神に甘んじて大人になろうとしない(ピーターパンシンドローム)」という考察はその典型であり、一人称からして一般人と異なる男口調もまた「第二次性徴を受け入れようとしない心の表れ」などと否定的に捉える理解が主流となっていった。

折しも「女子差別撤廃条約」の批准等を巡ってフェミニズムが盛んになっていた時代でもあり、「自分達の地位が乗っ取られる」と受け止める男性が続出。戦前同様の状況の中で同じ「おたく」内からも「心から男性になりたいのだろう」等としばしば叩かれるようになり、使用者を減らしていった。


現代、特に若い世代において「~のよ」「~だわ」「~わね」「~わよ」「~かしら?」のような、わかりやすい女性語を使用する女子はほんのごく一握りで、むしろ「~だよ」「~だぜ」「~じゃねえよ」「~じゃねえぜ」という、かつて男子だけのものであった男性語ヤクザ口調が女子にも大変浸透しているため、言葉遣いにおける男女子の差異は急激になくなりつつあり、世の中が既に中性的になっている感がある



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