日本の第77代天皇(在位1155年~1158年)。御名は雅仁。
現在(2012年)放映している大河ドラマ『平清盛』の影響で、この人物を描いたものでは「雅仁親王」タグのものが現在(2012年3月)では一番多い。源平合戦の時期の「後白河法皇」の名でも知られる。
大治2年(1127年)9月11日に鳥羽上皇の第四皇子として生まれたが、皇位継承順位からは外れており、鳥羽院と崇徳帝との確執や藤原氏内部の対立をよそに、気楽な立場で歌や踊りなど遊びまわっていた。
とくに今様(当時の流行歌のようなもの)を気に入り、研究も重ねた。また、各層身分の人々や友人達を連れて、昼は一日中歌い暮らし、夜は一晩中歌い明かしたため、挙句歌いすぎて何度も喉を痛めてしまったほど。
現代的に言えば、一日中カラオケで歌いすぎて喉が枯れた感じ。
要はこんな感じ。↑
とはいえ、現在に今様が残っているのはこの方が「梁塵秘抄」でまとめてくださっているおかげでもある。
しかし、近衛天皇が早年で崩御すると、本人の意思とは無関係に、周囲の政治的動向から、即位へとつながった。
いわゆる帝王学を学ばなかったため、新しい時代に柔軟に対応できる天皇となり、平家や源氏などの武家と渡り歩くこととなる。
この、退位後1192年に崩御するまで複数回の中断を挟みながらも長期にわたり院政を行った時代の方(出家後は「後白河法皇」)が有名であろう。源平争乱期において朝廷を代表し武家政権と渡り合った「日本国第一の大天狗」。