ハナズゴール
はなずごーる
1億円超える馬の売買の陰で、
その花はひっそり咲いていた
《マイケル・タバート著「馬主の一分」より》
概要
生年月日 | 2009年4月24日 |
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英字表記 | Hana's Goal |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | オレハマッテルゼ |
母 | シャンハイジェル |
母の父 | シャンハイ |
馬主 | マイケル・タバート |
生産者 | 不二牧場 |
調教師 | 加藤和宏(美浦) |
調教助手 | 加藤士津八 |
厩務員 | 野本剛史 |
競走成績 | 29戦6勝 |
獲得賞金 | 1億4526万7000円+24万豪ドル |
名前の由来 | 冠名+達成 |
タバート夫人が名付け親。
冠名の「ハナズ=hana’s」は夫人(花代)がタバート氏の両親からの渾名(ハナ)が由来。
「ゴール」は「達成」というだけでなく、父オレハマッテルゼが「ゴールで待ってるぜ」という意味も持つ。
売れ残り、最終的に200万円以下という安値で売られた彼女だが、日本馬として豪州短距離GIを初制覇するという快挙を果たす。
デビュー前
誕生
2009年4月24日に北海道浦河町の不二牧場にて誕生。
父は高松宮記念等を制したオレハマッテルゼ。ハナズゴールはその初年度産駒であり、後に唯一のGI馬となる。産駒が活躍し始めた矢先、2013年10月30日に重度の腰萎症のため亡くなっている。生産者曰く、「何度も(けい養されている)イーストスタッドに足を運んで、選んだ1頭です。」とのこと。
母シャンハイジェルは現役時代は中央で1勝をあげた後、生産者の友人から繁殖牝馬として譲ってもらったという。札幌競馬場ダート1000m戦を58秒9で逃げ切った快速牝馬だった。ハナズゴールを産んだ後、韓国に輸出されたとされていたが、タバート氏が行方を探しても見つからず、行方不明になっている。(studbookによれば、2009年12月転売不明)
オーナーとの出会い
良血とは言いがたい血統のためか2歳の2月まで売れ残っていた。
オーナーとなるタバート氏は2010年に35歳の若さで馬主免許を取得し、2歳馬を探していた2011年、先輩馬主の山上和良氏から「良い2歳馬がまだいたよ」と馬の写真が送られてきた。その馬こそ後のハナズゴールであった。牧場では「(後の)ハナズゴールと(まだ買い手がついていない)3歳馬を一緒に買ってくれれば2百数十万でいい」と言われ購入。(実質的価格は200万円以下と見られるが、JRA重賞馬の中ではテイエムプリキュア(250万円)やサンツェッペリン(100万円)に匹敵する安値。)
無事、オーナーが見つかったハナズゴールはタバート氏が以前、山上氏から紹介された育成牧場カナイシスタッドにて育成されることとなる。そして、そこの場長である金石氏の同級生だった加藤和宏調教師の厩舎への入厩が決まる。
現役時代
2011年《鮮烈なデビュー》
育成を終えたハナズゴールは加藤厩舎へ入厩。初対面時の印象について、加藤調教助手が「入厩してきた時は、他の方が担当していました。同じ厩舎なので洗い場で見かけていたのですがあまりのおてんばっぷりに『うわ…うるせぇ。こわいなぁ。』と感じたのを覚えています。」と語る程度にはお転婆娘であった。
デビューは10月8日の東京の芝1600m戦。
オーナーは友人の結婚式のため、現地観戦できない中、11番人気でデビュー戦を迎える。
道中後方待機で直線まとめて差しきり、デビュー戦を勝利した。
オーナーは帰宅後、何百回とレースVTRを見たという。
次走の赤松賞は直線伸びず7着に敗れる。
2012年《才媛たちとの戦い》
緒戦となった菜の花賞は馬場に苦しみ10着に敗れるも、次走の東京の500万下は直線で鮮やかに差し切り後続に2馬身1/2差をつけ2勝目を挙げた。
そして重賞初挑戦となったチューリップ賞。
初の関西遠征であり、事前に美浦から栗東へ移動し、調整することとしたが、飼葉を食べなくなってしまい、前走から-12kg。
既に重賞馬であった2歳女王ジョワドヴィーヴル、後の三冠牝馬ジェンティルドンナ、そしてエピセアロームの3頭に人気が集中し、4番人気も単勝37.2倍もの高倍率。調教師も自信がなく、桜花賞の優先出走権獲得のため、せめて3着に残れるよう願っていた。
そしてオーナーは当日の朝、ジョワドヴィーヴルにハナ差接戦を制す夢を見て、重賞初挑戦の緊張や感慨の余り、涙を流していたが…
スタートでは出遅れるも、馬場の外目を回って終始8番手を追走。直線では凄まじい末脚を爆発させて前にいた7頭を差し切り、最後は2着エピセアローム・3着ジョワドヴィーヴルに2馬身半の差をつけるというオーナーの夢を超えたまさかの展開でゴールイン。
良血の才媛たちに土をつけ、重賞初挑戦初制覇を達成。馬主、調教師、オレハマッテルゼ産駒にとっても重賞初制覇、生産牧場にとっては1980年以来の重賞制覇となった。また、関東馬によるチューリップ賞制覇は史上初。
レース後、鞍上のミルコ・デムーロ騎手が加藤調教師に向かって「新幹線!新幹線!」と言ったため、加藤調教師は「(レースが)終わって新幹線でどっか行くのかなあ。すぐ急いでどっか行くのかなあ」と思っていたが、よく聞いてみると「乗っていて新幹線のようであった」とのことであった。
また、当時の新聞でハナズゴールの勝利はアンビリーバVと驚きをもって迎えられている。
その後は優先出走権を得た桜花賞への出走を予定していたが、調教後の洗い場で右トモをぶつけ、翌日には痛みで足が地面につけないほどに症状が悪化し、無念の回避をすることとなった。
次走のNHKマイルカップでは後方から脚を伸ばしたがカレンブラックヒルの7着に敗れた。
オークスでは後方から追い上げるもジェンティルドンナの7着に敗れた。
古馬との初対戦となる札幌記念では直線後方から脚を伸ばしたものの4着。その後、秋華賞トライアルローズステークスに出馬登録を行ったものの、前日になって感冒の症状が見られたために出走取消(後に腸炎と判明)。ぶっつけ本番で挑んだ秋華賞はいいところなく16着惨敗となった。
その後はGIマイルチャンピオンシップに出走する予定だったが、賞金不足で除外となり、出走した京阪杯でハクサンムーンの5着。
続くリゲルステークス(OP)では打撲し、傷だらけになりながらも1番人気のマウントシャスタを下して勝利し、この年を終えた。
2013年《GIに届かない日々》
緒戦は京都牝馬ステークス。前走で有力牡馬を下した実力が評価されて単勝1.7倍の1番人気となる。レースは直線で内から鋭く伸びて重賞2勝目を挙げた。
阪神牝馬ステークスは直線良く伸びるも4着、ヴィクトリアマイルは中団からの競馬になるもヴィルシーナの6着。パラダイスステークスは中団から最後は良く伸びるも先に抜け出したレッドスパーダを捕らえきれず2着に敗れた。
休養を挟んで迎えた秋は、GIエリザベス女王杯含む重賞を4戦するも6着→9着→8着→3着と勝利に手が届かない日々が続く。
2014年《オーストラリア遠征》
タバート氏の希望により、タバート氏の故郷オーストラリアへ長期遠征を敢行。現代の競馬において、オーストラリアは短距離でのレベルは世界一と言われる。そして、日本馬のオーストラリアの短距離GI挑戦は史上初となる。
1戦目はクールモアクラシックで、斤量が56kgと高かった影響が響き14着。
続いてドンカスターハンデキャップでは52kgの斤量で出走するが、最後方から脚を伸ばすも先に抜け出した上位馬グループを捉えきれず、同じく後方待機の戦法を取り5番手に入線したナインスリージョンにも抜かれて6着に終わった。
当初はここで帰国する予定だったが、状態が良くなったことから、調教師がオーナーにもう1戦することを提案。海外の遠征期間が60日を超えると、ルール上、帰国後の検疫期間が長引き、帰国後のローテーションに大きな影響が出ることになるが、オーナーはその提案に賛同。最後のレースに挑むこととなった。
そしてオーストラリアでの最終戦として挑んだオールエイジドステークス。スタートでダッシュがつかず最後方からの競馬になるが、最後の直線で他馬を一気に抜き去り優勝、悲願のGI初優勝を挙げた。オーナーにとっては故郷に錦を飾ることとなり、またオレハマッテルゼ産駒にとって初にして唯一のGI勝利となった。
現地は馬場状態が良くなく、調整は楽ではなかったが、調教助手と厩務員がつきっきりで調整。「人間との信頼関係があり、安定していた。それにへこたれなかったね。いざという時は女性の方が強い。馬も同じだね」と加藤調教師は振り返っている。チームワークと芯の強さでつかんだ栄冠だった。
検疫期間もあり、5ヶ月半の休養を経て、挑んだ帰国後初戦のスプリンターズステークスでは17着。
その後、オーストラリアに続いて、香港への遠征を行い、ジョッキークラブマイル9着、香港マイル8着で2014年を終える。
エピソード
性格
前述の通り、お転婆な性格。「気難しくて、気を遣う馬だった」とは調教師談。
普段の運動でも他の馬とすれ違うのを嫌い、止まったり逃げたり蹴りに行ったりしていたが、京都牝馬ステークスで馬群を割る競馬ができるようになるなど、成長を見せたという。
また、ブラッシング嫌いで、噛み付きや蹴りが飛んでくるという。
桜花賞回避の原因となった怪我の際も大人しくなることはなく、注射は打てるが、触診に対しては蹴りが飛んできたとのこと。
一方で人間を信頼する心や芯の強さは持っており、これがオーストラリア遠征での快挙に繋がっている。
メンコ
白地に金の文字で「Hana's horses」と刺繍されたメンコを着用。デザイナーは競馬関係のデザインをされている堀友規子氏(高井彰大元騎手の妻)。タバート夫人からは「私の好きな花・トルコキキョウをモチーフにしたメンコをつけたいな」などと相談を受けていたという。
ハナズゴール トゥー・ゴールズ/オーストラリア遠征
2014年春、JRAの競走馬であるハナズゴールがオーナーの故郷・オーストラリアのG1へ挑戦。
売れ残りだった小柄な牝馬が、短距離では世界最高レベルとなるオーストラリアの厚き壁を突き崩し、関係者の念願であったG1勝利を挙げ、日本とオーストラリアの競馬史に加えられた奇跡の1ページ。
両国の関係者インタビューを軸に、現地レース主催者RacingNSWの全面協力による遠征の様子及び様々なレース映像を交え、オーストラリア競馬の現状も伝えながら、その軌跡を追った競馬ドキュメンタリー。
山下裕監督によって制作された競馬ドキュメンタリー。ナレーションは細江純子・合田直弘。ターフィーショップ等で販売されていたが、現在は販売を終了している。
この他にタバート氏によってハナズゴールの生涯やタバート氏視点の日本競馬について書かれた「馬主の一分」が執筆されている。