ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

の編集履歴

2023-02-24 11:18:19 バージョン

そう

「部屋」を意味する漢字。律令官制において六部の下に置かれる所司、自衛隊における階級、中国や朝鮮の姓、春秋時代の諸侯国など。

曖昧さ回避


曹氏

中国や朝鮮の漢姓

文王の六男・姫振鐸が曹(河南省)に封じられて曹叔振鐸と呼ばれ、子孫たちが曹氏を名乗った。

曹姓の人物としては、三国志の英雄・曹操が有名。


曹国

中国で周初から春秋時代(紀元前1046年~紀元前487年)に存在した諸侯国。

領土は主に現在の河南省にあり、都は陶丘山東省菏沢市)。


紀元前1046年、周の武王を滅ぼし、弟の曹叔振鐸を曹に封じ伯爵とした。


周王室直系(姫姓)の名門ながら、領土は狭く弱小であった。


紀元前637年、諸国放浪中のの公子・重耳(後の文公)が曹を訪れた。曹の共公は重耳が珍しい一枚肋(あばら)の持ち主と聞き、入浴している所を覗いた。重臣の釐負羈に食料を詰め、上にを乗せて重耳に献じて詫びを入れたが、重耳は食料だけ受け取り璧は返した(釐負羈は赦すが、共公は赦さないという意味)。この年の暮れ、重耳は穆公の助力により晋の文公となった。

紀元前632年、晋の文公は曹に侵攻し、共公を捕虜にしたが、釐負羈の一族には手を出さなかった。しかし、共公の側近の侯獳から「同姓の国を滅ぼすようでは覇者となれない」と説得され、共公を曹に帰国させた。晋の文公は子玉城濮で対決して破り(城濮の戦い)、中原の覇者となる。


紀元前488年、最後の曹君である曹伯陽は腹心の公孫彊の進言に従い、晋との盟に背き、へ侵攻したが、宋の反攻を受け包囲された。

紀元前487年、宋によって曹国は滅ぼされ、曹伯陽と公孫彊は連行されて殺害された。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました