曖昧さ回避
曹氏
中国や朝鮮の漢姓。
周の文王の六男・姫振鐸が曹(河南省)に封じられて曹叔振鐸と呼ばれ、子孫たちが曹氏を名乗った。
曹国
中国で周初から春秋時代(紀元前1046年~紀元前487年)に存在した諸侯国。
紀元前1046年、周の武王が殷を滅ぼし、弟の曹叔振鐸を曹に封じ伯爵とした。
周王室直系(姫姓)の名門ながら、領土は狭く弱小であった。
紀元前637年、諸国放浪中の晋の公子・重耳(後の文公)が曹を訪れた。曹君の共公は重耳が珍しい一枚肋(あばら)の持ち主と聞き、入浴している所を覗いた。重臣の釐負羈は壷に食料を詰め、上に璧を乗せて重耳に献じて詫びを入れたが、重耳は食料だけ受け取り璧は返した(釐負羈は赦すが、共公は赦さないという意味)。
紀元前637年、秦の穆公の助力により重耳は晋の文公となった。
紀元前632年、晋の文公は曹に侵攻し、共公を捕虜にしたが、釐負羈の一族には手を出さなかった。しかし、共公の側近の侯獳から「同姓の国を滅ぼすようでは覇者となれない」と説得され、共公を曹に帰国させた。晋の文公は楚の子玉と城濮で対決して破り(城濮の戦い)、中原の覇者となる。
紀元前488年、最後の曹君である曹伯陽は腹心の公孫彊の進言に従い、晋との盟に背き、宋へ侵攻したが、宋の反攻を受け包囲された。
紀元前487年、宋によって曹国は滅ぼされ、曹伯陽と公孫彊は連行されて殺害された。