概要
元ネタは漫画『究極超人あ~る』のたわば先輩が(かたよった)写真の心得を説いた時の台詞。
タグとしては逆光が上手く活用されている絵や、逆光と、あ~るネタが絡んだ絵に付くことがある。
この言葉が該当する/しない場合
(該当する場合)
写真で芸術的な表現をする場合、順光(撮影者の後ろ寄りに光源がある状態)では往々にして写真にインパクトが欠け、個性のない平板な仕上がりになりやすい。
そこで逆光(撮影者の前寄りに光源がある状態)にすれば、被写体が浮き上がり強調されるだけでなく、非日常感を醸しだす事もできる。ただし何事にも限度というものがあり、光源が強過ぎると被写体がシルエット状態になりかねないため、反射板(レフ板)で被写体前方からの光を補ったりする。
(該当しない場合)
逆に、記録するために写真を撮る場合、逆光では肝心の被写体の総体的な姿が見づらくなるため、順光で手堅く行くべきだろう。
心得
「これが基本だの巻」より。
- トライXで万全
- これを4号か5号で焼いてこそ味がでる
…上記2つは鳥坂先輩の言葉。高コントラスト傾向があるコダック社の『Tri-X』フィルムを使用し、高コントラストの印画紙に焼くと言う事。具体的にpixiv利用者各位にお馴染みであろう表現で言うと二値化したような感じになる。「これはこれで表現としてありだが、カメラに触ったばかりのような初心者に勧めるような代物ではない」という意味で偏っている、とは実は言い切れなかったりする。
どういうことなのかというと、Tri-Xと、作中でも出てくる、当時日本国内で主流だった富士写真フイルム製の『ネオパンSS』と比較した場合、本来ニュートラルな発色をしているのはTri-Xの方であり、ネオパンシリーズはコントラスト中央がやや暗色側に寄っている(いわゆる軟調)。
この場合、「基本」を、「きちんとした基礎的な技術を身につける」とするのか、「初心者があくまでアマチュアの領域で楽しむ」のかで変わってくる。軟調フィルムは露光が多少いい加減でも、印画紙に焼くまでの工程である程度誤魔化せてしまうのだ。なので、“基本”を前者とした場合、むしろ鳥坂先輩の主張は偏っているどころか王道中の王道と言って良い。
(しかも、この時鳥坂先輩に反論しているのは椎子だが、彼女は後々画像系の進路を取るので、ますます「Tri-Xを万全に使えないと話にならない」となる)
かつて(日本において)ミドルクラスまでのアマチュア写真愛好家には後者の“基本”が取られたのは、軟調フィルムの「誤魔化しが効く」点なのだが、ちょうど作品連載中に発売されたEOS 650の登場により、アマチュアユースまで爆発的にAF・AEカメラが普及すると、軟調フィルムを使わずとも初心者でも適切な露光ができるようになり、EOSとその対抗製品が出揃った1990年代には「Tri-Xの方が基準」になってしまったのである。
これに、同時並行でフィルムがネオパンSSのISO感度100から、ISO感度400が標準の時代へ変遷したことが、さらにこの傾向を固めた。先行のコダックに対し当初フジはネオパンSS・SSS(ISO感度200)の単純な発展型として『ネオパン400』を発売するのだが、銀塩フィルムでは感度を高くするためにはフィルムの感光体の粒子の大きさを大きく取らざるを得ず、感度と写真の解像度がバーターになっていた。この時点で、Tri-XはISO400でありながらISO100のネオパンSSといい勝負ができる解像度を誇っており、これに対して目に見えて劣るネオパン400は散々な評価を受けてしまった。
そこでフジは非球形粒子を用い、SS並の解像度を維持しながらISO400とした『ネオパンPRESTO』を発売。ところが非球形粒子を採用した関係でネオパンPRESTOは従来のネオパンシリーズよりも更に軟調傾向になり、ますます「アマチュアでも写真家気取るならTri-Xを使えてなんぼ」という流れににってしまうのである。
ただ、AF・AE全盛期になったがゆえ、「とにかくシャッターを切ってトライ&エラーで腕を磨け」という考え方も出てきた。この場合、1本のフィルムで様々なシチュエーションに対応できるネオパンPRESTOの評価も高かった。
ちなみにネオパンPRESTOに対抗するため、コダックがTri-Xの後継として発売した非球形粒子高解像度フィルム『T-MAX』はネオパンPRESTOに輪をかけて酷いことになっており、通常のモノクロフィルムと同じ現像処理をすると暗色側が潰れてしまうため、発売元がアメリカの企業だったゆえ「人種差別フィルム」というありがたくない二つ名を頂いてしまう。
また、Try-Xの標準現像液はモノクロフィルム現像液として世界的デファクトスタンダードだった「コダックD-76」で、フジのネオパン用標準現像液『フジドール』はこの互換品、高速現像液『スーパープロドール』は世界的にほとんど唯一の「D-76の単純強化型現像液」だった。ちなみに、T-MAXをD-76で処理すると上記の通り酷いことになるので、後に対策した専用現像液『T-MAX Developer』が発売される。
そんなわけで、コダック製フィルムを「偏っている」とみなしていたのはむしろ1970~1980年代の日本ローカルで、1990年代に入るとTri-X派v.s.ネオパンPRESTO派が、カメラ側のニコン党員とEOS党員の対立と同じぐらいの勢いでバチバチやっている状況になっていて、「偏っている」と言われたければ前記T-MAXぐらい使わないとダメになっていた。ちなみに、D-76でのTri-XネオパンPRESTOの処理時間の差から係数を割り出して、Tri-Xをスーパープロドールで現像するなんてのはフツーに横行していた。
…………で、その後は皆さんご周知の通り、デジタルカメラの普及で銀塩写真フィルムのシェアは急激に落ち込み、フジは早々に銀塩写真事業を縮小したため、既に需要がないに等しいモノクロフィルムは一旦全て廃盤となり、PRESTOどころか球形粒子のネオパンシリーズの技術もロストしてしまっている。現在唯一ラインアップされている『ネオパン100 ACROS II』は代替原料の確保に目処がついたことで再参入する形で発売された。
一方のコダックは、元々カメラ本体ではフジに大きく差を付けられていた事もあり、8mmシネフィルムも含めた銀塩写真フィルムソリューションの継承を会社の方針と位置付けていたが、デジタルイメージング事業がサンヨーの粉飾経営の巻き添えを食って出遅れたこともあり、結果会社まるごとあぼーん。経営再建のために殆どのニッチ商品の生産をクローズし、こちらも現在は伝統と栄光のTri-X(35mm判ISO400、シート判ISO320)だけがラインアップされている。
まぁ、印画紙の方は普通3号がスタンダードだけどな。
…前述。
- 世はなべて3分の1
…画面に三分割法を使う。具体的には、縦横3区画ずつに均等に区切る仮想の線を使い、被写体もしくは要素の境界線(山の稜線など)を、画面の中心にせずに少し寄せる。
- ピーカン不許可
…光のあたる部分が白く、影の部分が黒くなり過ぎる。
- 頭上の余白は敵だ
…頭を写真の中心にすると、写真に無駄な余白ができてしまう。
上記3つはたわば先輩の言葉。簡単に言うと、どれも「基本中の基本」ではあるのだが、最後の一つは人物写真の心得で風景写真とは関係がない。こちらは「基本を重視するあまり、現在何をしているかすら失念している」という意味で偏っている。
…………のだが、この話の時の撮影会のテーマのひとつは「小夜子をモデルに写真を撮る」だったので、たわば先輩の発言も「世はなべて3分の1」と「頭上の余白は敵」の2点については、1990年代にEOSでシャッター切りまくっていた連中からすると偏ってないんだよね……大体「AEカメラでポートレートもまともに撮れないやつが風景写真なんて百年早ぇ」って時代になっていたし。
(この根底には、「露光は最低限の設定だけしておけば後は電子制御でやってくれるのだから、撮影者は構図を優先に考えろ・シャッターチャンスを逃すな」という考えが主流になったことがあるもっとも、逆光はAEカメラ使いにとっては不倶戴天レベルの敵なんだが)
早い話が「平凡な写真は撮りたくない」というプライドと「その為に必要なセンスや技術を磨くのは面倒」という本音の葛藤の末に生み出された、「安易に個性的な写真を撮る」為の技法である。当然その出来には何の保証もない。「作品の完成度」よりも「面白さ」を伝統的に重視してきた、春高光画部らしいといえばらしい指導ではある。
ただ、「世界的にコダック社製フィルムがデファクトスタンダードな中、日本は国内ローカルで富士フイルムの寡占状態にある」ことと、「さほど時を置かずしてEOSに端を発するAE・AFカメラ全盛期になった」こととで、その後に写真始めた人間にとっては「言うほど偏ってるか?」という状態になった、のもまた事実である。
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外部リンク
(…TAKAよろず研究所)