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トライXで万全

じつはただしい

「『トライX』で万全」とは、漫画『究極超人あ~る』のキャラクター・鳥坂先輩のセリフ。
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概要

「『トライX』で万全」とは、漫画『究極超人あ~る』のキャラクター・鳥坂先輩のセリフ


当時、日本においてアマチュア写真家向けモノクロネガフィルムとしては、富士写真フイルム『ネオパンSS』が主流だったが、そこを敢えてイーストマン・コダック『Tri-X』を使え、というもの。


他の光画部の面々からは、「偏っている」と言われてしまう、のだが……


堀川椎子さん、貴方がそれ言っちゃいけません。

実際に身につけるべきはTri-X

ネオパンSSとTri-Xには発色の差がある。実はほぼニュートラルなのはTri-Xの方であり、ネオパン系はコントラスト中央がやや暗色側にあって、暗色部が潰れやすい傾向にある。ネオパン系の傾向を「軟調」、逆にコントラスト中央が明色側によっていると「硬調」と呼ばれる。


「Tri-Xは硬調」という写真家はそれなりにいるが、それは日本国内において、長い間銀塩写真フィルムがフジの寡占状態だったから、ネオパンSSと比較してそう見えてしまうだけで、本来はTri-Xが理想に近くネオパンSSが軟調フィルムなのだ。


なので、この点においては鳥坂先輩の主張は正しい

なぜ、日本でネオパンSSがアマチュア写真家に好まれたのかというと、実は軟調フィルムは撮影時に露光が多少いい加減でも、印画紙に焼き付けるまでにある程度誤魔化しが効いてしまうのだ。なので、そこまでこだわりを持たないソフトアマチュア層にとっては扱いやすいフィルムだった


しかし、ハイアマチュア~プロの写真家・映像家となると、ニュートラルな発色をするTri-Xを「使いこなしてなんぼ」である。実際、それなりに名のある写真家や、後身を指導する立場の人間は、「ネオパンに慣れるな」と言う人も多い。軟調フィルムに慣れてしまうと、「そこそこの作品」で止まってしまい、さらにステップアップすることができなくなる、とされていたからだ。


進路を映像関係としている堀川椎子が「基本はネオパンですよ」と言っている方が、実は褒められた傾向ではないのである。


まぁそれでも、印画紙に4号や5号を使うのを前提にしろ、と言うのは極端過ぎだが。


そもそも「ネオパンが基本」は日本ローカル!!

銀塩写真の衰退が決定的となる2005年頃まで、富士フイルムは世界市場でコダックと勢力を二分するフィルムメーカーではあったが、それは日本の工業製品の評価が高まってきた頃以降で、その頃は一般向けの写真フィルムの主流はカラーネガフィルムに移行してしまっていた。

また、企業戦略としてもこの頃フジが力を入れていたのは、スチルカメラから劇場用映画・アニメまで席巻したカラーリバーサルフィルムだった。

なので、モノクロフィルムのネオパンシリーズは、輸出していないわけではないものの、海外では基本としてTri-Xがある上での「軟調フィルム」という立場だった。


逆にコダック製モノクロネガフィルムは、戦前から世界的デファクトスタンダードであり、おおよそカメラがあるところ、コダックのフィルムが無いのは冷戦中の東側ぐらいだった。


しかも、フジ自身、モノクロネガフィルムはコダックに負うところがある。ネオパンシリーズ用の標準現像液『フジドール』は、実はコダックのモノクロネガフィルム用標準現像液「Kodak D-76 Developer」の互換品なのである。D-76は戦前の1927年に発売され、後にレシピが公開されていて、誰でも作ることができる。ただし、コダックのパッケージ版D-76は公開時のレシピから順次改良が加えられており、一方のフジドールも改良を受けているため、まったく同一の成分ではない。


D-76は、流石に1980年代には既に旧態依然とした存在であることが否めず、コダック自身を含めて世界各国で自社製フィルムに対応した高速現像液が開発・発売される。しかしそんな中、富士フィルムは“フジドール(つまりD-76)の特性を持つ高速現像液”として『スーパープロドール』を発売。D-76の単純な強化型現像液としては、現在に至るまでほぼ唯一の存在である。後述のネオパンPRESTOと、Tri-XとのD-76での処理時間から係数を割り出して、Tri-Xをスーパープロドールで処理しても、D-76での処理とほぼ同等の仕上がりが期待できる。


戦後の日本のモノクロネガフィルム事情はこんな状態だったので、「ネオパンSSが基本」と言うのは、日本ローカルなのである。


EOSの登場で覆った常識

「Tri-Xを使えというのは偏っている」と言うのは、作品連載当時のもので、しかも10年と経たずに旧いものになってしまった。

と、言うのも春高光画部の面々が持っているカメラは、当時の最新鋭より1世代遅れた物が多いのである。

実際、一眼レフカメラと言うのは(現在でも)高価な品物で、学生の身分で買えるのは、エントリーラインの新品か、中古品というのが相場だったから、そうなっている事自体に不自然はなかった。


が、まさに連載中の1987年。

Canon 『EOS 650』 発売


それまでの一眼レフ市場を文字通り一変させた、高度なAF・AEを搭載した本機の登場は、「ネオパンは扱いやすい」という点を打ち消してしまう。撮影者は最低限の設定だけすれば、後は電子制御でカメラ自身がやってくれるからだ。

しかも本機は、発売時の価格帯はFDマウント時代の『F-1』に相当するフラッグシップではなく、メーカー希望小売価格¥80,000(ボディ単品)と、ミドルクラス機だった。


ISO400時代の激闘

カメラ上位者にTri-Xの愛用者が多かった理由のひとつに、Tri-Xは日本では他に発売されていなかったISO感度400のモノクロネガフィルムであることが上げられる。

シャッタースピードの速い上位のカメラの性能を活かすには、ネオパンSSなど世界各国で標準的に位置付けられていたISO感度100のフィルムでは力不足感が拭えなかったのである。

この点、鳥坂先輩もメイン機がニコン『F-3』なので(最大シャッタースピード1/2000sec)、デイライト(ストロボなし)の撮影でネオパンSSは不満を感じるだろう


しかしEOSとそのライバルたちは登場はこのあたりの事情も変えることになる。まず、1990年にミドルクラスの『EOS 10』が、続いて1993年にはエントリー・初級者向けの『EOS Kiss』(初代)までもが、シャッタースピード1/2000secという、1987年以前には考えられなかった高速シャッターを持つようになったのだ。


もちろんフジもお膝元でこれはまずいと、1980年代には『ネオパン400』を発売していた。だが、銀塩写真フィルムは感度を上げるためには、感光体の粒子を大きくとる必要があり、その分粒子の数が減るため、通常、感度と解像度はバーターになる。

Tri-XはISO400フィルムでありながら、ISO100のネオパンSSと競えるほどの解像度を誇っており、それに対して従来のネオパンシリーズの技術で作られたネオパン400は、目に見えて劣ったため、散々な評価を受けてしまった。


そこでフジは非球形粒子を採用し、解像度をネオパンSSと同等以上でISO400を実現した『ネオパンPRESTO』を発売した。

ただ、非球形粒子のフィルムは軟調よりになりやすく、ネオパンPRESTOも従来のネオパンシリーズよりさらに軟調なフィルムとなってしまった。

このことから、Tri-Xを支持する層からは、ネオパンPRESTOは当初、あまり良い評価をもらえなかった。


しかし、AF・AE標準搭載の高性能高機能カメラが普及した結果、それまでの「じっくりフォーカスと露光を確かめて写す」から、「シャッターを切れ! チャンスを逃すな! エラーしたらそれを糧に腕を磨け!」の時代となったことで、程よく軟調なネオパンPRESTOは1本のフィルム・標準的な処理で様々な場面を鮮やかに写すことができ、AFカメラ世代のアマチュア一眼レフユーザーには良いフィルムだった。


このため、ISO400時代はどちらかが絶対的イニシアチブを取るわけではなく、Tri-XとネオパンPRESTOは、目的が異なる各々の支持者が住み別ける形で競い合う時代となった。


世代交代失敗! 老骨に鞭打つTri-X

この時点でTri-Xはライバル・ネオパンPRESTOと充分戦える製品だったが、その開発年はおよそ30年の開きがあり、コダックとしてもデファクトスタンダードの地位を守るため、ネオパンPRESTOと同じく非球形粒子を採用した高感度・高解像度モノクロネガフィルム『T-MAX』を発売する。


ところが、コントラスト中央がネオパンPRESTOと比較しても極端に暗色寄りの超・軟調フィルムになってしまい、Tri-Xではシャキッと表現できたシャドー(暗色)が、黒塗りベタになってしまうという有様。コダックがアメリカの会社であったため、「黒人を撮影できない」と揶揄され「人種差別フィルム」という有り難くない二つ名を頂いてしまう。


この為、軟調フィルムの暗色表現を際立たせる専用の現像液『T-MAX Developer』が急遽発売された。しかし結局、コダック製モノクロネガフィルムのフラッグシップとしては完全に世代交代に失敗し、1954年発売のTri-Xは、なおその座にとどまることになった。


むしろコダックとしていい商品になったのはこのT-MAX Developerである。逆光で勝利を掴むために、Tri-XやネオパンPRESTOを、敢えてT-MAX Developerで現像することで、逆光でできた暗色部を表現するという手法が登場した。

この為、Tri-XもネオパンPRESTOも、箱の内側に書いてある現像液別の標準現像時間のリストに、T-MAX Developer及び改良型の『T-MAX RS Developer』のものが記載されている。


しかし、Tri-Xの世代交代の失敗は、既にモノクロネガフィルムの表現能力がTri-X・ネオパンPRESTOの水準で限界に達していたことを示してもいた。


嗚呼、栄光のTri-X

コダックはカメラの開発・販売もやっていたが、1950年代以降、自動車に先駆けて世界中所構わずニコンキヤノンが焦土化も構わないほどの勢いで戦場にしやがったせいで、カメラ部門はパッとしていなかった(この点、フジは小さいシェアながら上手くスキマを狙って存在感を放っていた)。

さらに、サンヨーのお家騒動の巻き添えを食ってコダックのデジタルイメージソリューションは完全に出遅れる形になってしまった。

この為コダックの経営は徐々に悪化。コダックは8mmシネムービーも含めた銀塩写真ソリューションの維持を会社の方針としていたが、映像市場のデジタルカメラ・デジタルビデオカメラへの移行が急速に進み、他部門で充分な利益を挙げられていなかったコダックは、2012年連邦倒産法第11章(通称“Chapter-11”。日本の会社更生法に相当)を申請して倒産した。

その後、コダックの経営再建にあたっては、こだわり続けた銀塩写真フィルムの商品の生産の多くをクローズすることになった。その中で、Tri-Xは生産・販売を継続する製品と判断された。


一方、富士フイルムは、早いうちから銀塩フィルムに見切りをつけ、8ミリシネムービーのSingle-8など、ユーザーの反発を押し切ってパージし、化学工業メーカーとして生き残ることに成功した。しかし、フジがパージした製品群にはモノクロフィルムも含まれており、Tri-X史上最大のライバルであったネオパンPRESTOは、2014年販売終了、その時点でもTri-Xの半分程の生涯を終えた。そしてネオパンシリーズ全ての生産が一旦終了し、球形粒子のネオパンシリーズも含めてネオパンシリーズの技術的系譜は途絶えた。

後にあまりに強い意見から、2019年、『ネオパン100 ACROS II』を発売したが、それまでのネオパンシリーズとは技術的系統がつながっていない、商標だけを継承した商品である。


やはり「トライXは万全」だったのである


関連タグ

究極超人あ~る 鳥坂先輩 逆光は勝利

キヤノン EOS

イーストマン・コダック 富士フイルム

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