逆光は勝利
ぎゃっこうはしょうり
「これが基本だの巻」より。
たわば先輩の「基本」
…前述。
- 世はなべて3分の1
…画面に三分割法を使う。具体的には、縦横3区画ずつに均等に区切る仮想の線を使い、被写体もしくは要素の境界線(山の稜線など)を、画面の中心にせずに少し寄せる。
- ピーカン不許可
…光のあたる部分が白く、影の部分が黒くなり過ぎる。
- 頭上の余白は敵だ
…頭を写真の中心にすると、写真に無駄な余白ができてしまう。
上記3つはたわば先輩の言葉。簡単に言うと、どれも「基本中の基本」ではあるのだが、最後の一つは人物写真の心得で風景写真とは関係がない。こちらは「基本を重視するあまり、現在何をしているかすら失念している」という意味で偏っている。
…………のだが、この話の時の撮影会のテーマのひとつは「小夜子をモデルに写真を撮る」だったので、たわば先輩の発言も「世はなべて3分の1」と「頭上の余白は敵」の2点については、1990年代にEOSでシャッター切りまくっていた連中からすると偏ってないんだよね……大体「AEカメラでポートレートもまともに撮れないやつが風景写真なんて百年早ぇ」って時代になっていたし。
(この根底には、「露光は最低限の設定だけしておけば後は電子制御でやってくれるのだから、撮影者は構図を優先に考えろ・シャッターチャンスを逃すな」という考えが主流になったことがある。もっとも、逆光はAEカメラ使いにとっては不倶戴天レベルの敵なんだが。ただ「基本」から逸れるが、「Tri-XやネオパンPRESTOで、敢えて暗色部のコントラストが出やすくなるT-MAX Developerで現像する」という“裏技”があったりする)
「偏ってる」がキヤノンのせいで「常識」に
鳥坂先輩とたわば先輩の「基本」とは、早い話が「平凡な写真は撮りたくない」というプライド、つまり「作品の完成度」よりも「面白さ」を伝統的に重視してきた、春高光画部らしいといえばらしい指導ではある。
ただ、その方向性はたわば先輩と鳥坂先輩で真逆である。鳥坂先輩の「基本」は、「いわば“プロ級”の人が身につけるべき技術」。身につければ品質の高い作品を作ることができるが、連載時点ではちょっと高校の部活動でそこまでこだわるか? というもの。
たわば先輩の「基本」は「必要なセンスや技術を磨くのは面倒」という写真学校に入学しながら幽霊部員ならぬ幽霊生徒をやっている彼らしい、「安易に個性的な写真を撮る」為の技法である。当然その出来には何の保証もない。
ただ、「世界的にコダック社製フィルムがデファクトスタンダードな中、日本は国内ローカルで富士フイルムの寡占状態にある」ことと、「さほど時を置かずしてEOSに端を発するAE・AFカメラ全盛期になった」(特に鳥坂先輩の「基本」は、1993年に『EOS Kiss』が発売されたことで完全に「初心者でも手につけられるもの」となった)こととで、その後に写真始めた人間にとっては「言うほど偏ってるか?」という状態になった、のもまた事実である。