図鑑データ
艦名 | 熊野丸 |
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図鑑No | 543→548(改) |
艦級 | 特種船M丙型 |
艦種 | 揚陸艦 |
CV | ? |
絵師 | ? |
概要
2023年3月3日に実施されたオンメンテにより実装。同日解放された期間イベント海域『絶対防衛線!「小笠原兵団」救援』E-3海域の突破報酬として合流邂逅可。
5人目の大日本帝国陸軍所属船艇をモチーフとした艦娘であり、陸軍特殊船(揚陸艦)をモチーフとしたものとしてはあきつ丸と神州丸に次いで3隻目、戦時標準船をモチーフとしたものとしては山汐丸に次いで2隻目である。
余談だが、2023年3月時点で艦これに実装されている艦娘の内、最も進水日が遅い(年齢が若い)。
史実
日本陸軍による日米開戦後の揚陸艦艇「特種船」量産計画に則り建造された4隻の戦時標準船構造の特種船の一隻。戦時標準船構造の特種船は貨客船型の「M甲型」と空母型の「M丙型」の2種類がそれぞれ2隻ずつ建造されており、熊野丸はそのうちM丙型に分類される。
当初は就役当初のあきつ丸同様、上陸支援のための航空機発船能力のみを有した形で計画されていたものの、戦況の悪化と米潜水艦による通商破壊の激化により起工前に護衛空母機能を有した形に計画変更となった。この際日本海軍による設計協力を得られた事から、熊野丸は大鷹型空母に準じた構造となっている。
1944年8月15日、日立造船因島工場にて起工。戦時標準船構造ゆえ建造期間は短く、1945年1月28日進水、同3月31日竣工と半年少々のうちに完成した。しかしながらこの時点で日本は既に制海権どころか制空権までも喪失しており、進水の2日前のヒ88J船団壊滅を最後に日本は南方からのまとまった資源輸送が行えない状態となってしまっていた。護衛すべき輸送船団がない以上折角完成した熊野丸の活躍の場は皆無であり、兵装も完全に揃えられぬまま以降終戦まで陸軍船舶部隊の本拠地である広島宇品港に係留され続けた。
戦後は一部改造の上引揚船として使用された後、1947年に神戸の川崎重工業艦船工場にて解体された。なおその際船体のうち二重底部分や一部廃材が浮き桟橋として流用され、1972年頃まで使用されていたという。
なお、他の戦時標準船構造の特種船のうち、M甲型の2隻「摂津丸」「日向丸」は一応完成し日本近海での輸送作戦に供されたのに対し、M丙型の残る「ときつ丸」に関しては建造途中で航空艤装をオミットするも終戦までに完成する事はなかった。
関連項目
大鷹型:上述の通り、熊野丸の構造は大鷹型に準じている