史実
始皇帝に仕えた秦の将軍の1人で、同時代の蒙驁の子、蒙恬・蒙毅の父。
紀元前224年、楚の項燕による秦に侵攻の際には、将軍・王翦の副将となって共にこれを破り、項燕を敗死に追い込んだ。また紀元前223年、再び蒙武は王翦の副将となって共に楚を攻め、滅亡させている。
キングダム
CV:楠大典
演:平山祐介
秦の丞相、呂不韋(後に相国に昇進した)直属の四柱の1人として登場。自身の武力に絶対の自信を持っており、中華最強である事を証明するため政に六大将軍制度の復活を上奏する。
父の蒙驁、長男の蒙恬と同じく秦の実力者であるが、圧倒的な攻勢に特化した性質故に昌文君からは危うさを指摘され、他国からも猪突猛進と評されている(これについて蒙武は、「戦いに攻も守も無い。あるのは目の前の敵を打ち砕くこと」と反論している)。
戦闘スタイルは己の武力を筆頭に士気を高めた兵たちで一気に押し潰す力押し。その戦い方は昌平君や王騎から見ても「策も何もあったものでは無い」と言わしめるほど。それでも、兵の士気を上げるために戦を使って練兵をする等、軍への理解は深い。
馬陽の戦いでは王騎の副将として参戦。序盤はその武力で勢いに乗るが、終盤に王騎の「追撃は本陣の旗が見える範囲まで」と言う指示と隆国の罠だと言う忠告を無視して無謀な追撃を行ったため趙荘の策によって壊滅的な被害を負う。
その後は王騎を戦場から離脱させる為に突破口を開き、王騎から秦国軍の顔になるべき一人とこれからの事を託される(騰も、「我が殿、王騎の死はお前を強くした」と、彼を少なからず評価している)。
対合従軍戦では騰軍との連合軍となり、「楚の巨人」の異名を持つ楚大将軍・汗明の指揮する楚軍に当たる。この時、昌平君の助言による「斜陣がけ」という戦術を使って汗明軍本隊への道を作り出し、汗明との壮絶な一騎打ちの末討ち取り、汗明軍に再起不能の打撃を与えた。更に汗明戦の傷が癒えていない状態で斉に侵攻した合従軍の背を討ち項翼に「化物」と呼ばれた。
なお、昌平君にも同じことが言えるが、作中の呂不韋陣営の中では呂不韋のために動いているような素振りは一切なかった。
呂不韋が戦のために蒙武を動かすことはあるが、呂不韋にとっては政治的な意味で自身の陣営にとって有益なため。
一方、蒙武にとっては戦場で中華最強の証明が近づくので有益なだけに過ぎないと思われる(一応、秦国最大陣営に所属するので息子のコネにも有益ではあるが、蒙武自身がどこまで考えているかは不明)。
上記の通り中華最強を証明するのが自身にとっての至上命題であり、李牧が咸陽を訪れた際も隙あらば殺すつもりだったことに加え、汗明を討つ際も本来は嫌う作戦も利用した。