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ゴータマ・シッダールタの編集履歴

2012-07-06 03:26:09 バージョン

ゴータマ・シッダールタ

ごーたましっだーるた

紀元前5世紀頃に活躍した仏教の開祖。

[釈迦(釋迦、しゃか、 梵名:シャーキャ、शाक्य zaakya](Śākya)

名前釈迦(釋迦、しゃか、 梵名:シャーキャ、शाक्य [zaakya](Śākya)
世没紀元前463年? - 紀元前383年
本名(俗名)
パーリ語形ゴータマ・シッダッタ Gotama Siddhattha
サンスクリット語形ガウタマ・シッダールタ गौतम सिद्धार्थ [Gautama Siddhārtha]
漢訳瞿曇 悉達多(くどん しっだった)

生涯

現在のネパールに相当する地域にいた釈迦族の王子として生まれる。

シッダールタは「目的を達成した者」という意味だが、

生まれながらの名前である。彼の誕生に立ち会ったアジタ仙が

占いにより、「将来、世界を統治する帝王となるか、人類を救う仏陀になる」

という結果を予見し、それが生まれながらに定められた者として

この名前をつけたという。


父はシュッドーダナ、母はマーヤー。しかし生みの親のマーヤー夫人は

産後まもなく亡くなってしまう。その後、夫人の妹であるマハー・プラジャパティーが

シュッドーダナの妃となり、ゴータマの継母となった。


手塩にかけ大切に育てられ、王宮内の家臣や召使も恵まれた生活をしていたが、

外界はそうではなかった。もともと思索的な性格であった彼に対し、

父王はクシャトリア階級の王子として世俗における生活に留まって欲しいと

考え、美女をはべらせたり、賑やかな音楽を奏でさせたりもしたが、

あまり効果はなかった。伝承によれば釈迦は四門出遊、すなわち、王宮を出て四つの門で

病人、老人、死者、修行者の姿を目の当たりにし、世の無常について

さらに深く思いつめるようになる。ヤショーダラーと結婚し、

息子ラーフラをもうけた彼は、とうとう出家に踏み切ることになった。


彼は目的を達成するまでは実家には戻らないと決め、したがう従者をも帰らせ、

一人で修行の旅路を進んだ。しかし当時の宗教者、修行者、聖者たちの

説く教えや修行はゴータマを満足させなかった。

長時間の息止めや断食などの苦行も究めたが、究極の悟りには無益と判断するに至った。

スジャータという娘から粥をもらって食し、苦行で失われた体力を回復した彼は

新しい道を模索する。のちにブッダガヤと呼ばれる土地で、

菩提樹の下に座して瞑想をはじめた彼は真理を悟り、仏陀となった、と仏教伝承は伝えている。


悟りを開いた彼は、新しい宗教である仏教――本人にとっては過去の聖者(過去七仏など)も体得したところの真理ダルマ)を人々に説き始める。

彼の教えを拒絶する人もいたが、他宗教の聖者や権力者にも改宗者・帰依者を輩出し、

かつての継母や妻、息子も仏教徒となった。このようにして

仏教徒の共同体と、修行者のつどいであるサンガは拡大していった。

しかし実家である釈迦族は、ヴィドゥーダバ王によって(理由としては自業自得ではあるが)滅ぼされてしまう。


80歳のとき、チュンダという信徒がもてなした食べ物にあたってしまう、弟子たちに

チュンダを責めないよう弟子たちに言い聞かせ、最後の説法をした後、亡くなった。

葬儀の後に残されたゴータマの遺骨(仏舎利)は八つに配分され、

火葬で残った遺灰とあわせ、十のストゥーパ(仏塔)にまつられた、とされる。

教え

輪廻転生を説き、そこからの脱出を説いた。ここまでは一般的なインド宗教と同じだが、

ブラフマンアートマンとの同一性を悟ることで行うというバラモンの教えとは

異なり、(不変不滅の)アートマンの存在を認めない立場をとった。

「アートマンは存在しない」という言い方こそしなかったものの、

『梵網経』では、当時の修行者・バラモンたちの間に流布していた様々なアートマン論をあげ、

解脱をもたらさないものとして位置づけている。この時点での釈迦のスタンスを

「非我」といい、大乗仏教の時代になると、強調されて「無我」という呼び名になった。


解脱をもたらすものではないにせよ、釈迦はそれが説かれたヴェーダを、

本当の意味で実践している(と彼が考える)「真のバラモン」に対しては深い敬意をはらっている。


バラモン教(ヒンドゥー教)のカースト制度を否定し、ひとの価値は

生まれによるのではなく、行いによると説いた。


呪法については、ヴェーダに「効果」があることは認めるが、

それを修行者が用いることは許さず、呪術や占い・護摩・呪文で生計をたてることを

強い言葉で戒めている。ただし、例外としてパリッタ(自身の身を守るための護身呪)

の使用だけは容認した。

このため、後代にヒンドゥー教や土着信仰から占い・呪文・護摩を取り入れた密教においては、

これは単なる「呪術」ではないと強調され、使用にあたっても空性(「空」)への理解や菩提心を基盤とし、

正式な師について学ぶ、という制限がつけられている。


仏像については実際のところ明確にこれを否定した伝承は無い。

教え方

相手の素質や学習度を見て教えをとく対機説法が基本。

たとえば、在家の信徒にいきなり縁起のような難解な教えを説くのではなく、

輪廻や善行によって天界に生まれることを説く。


毒矢のたとえ」で知られるように、教えても修行の役に立たないことは

あえて伝えないという手段もとる。


基本的におだやかで、他の意見、他宗教の教えを激しい言葉で否定・非難することはないが、

はじめからナメてかかってくる相手は例外。『阿摩晝経』では

釈迦がクシャトリア階級であることでナメくさった態度をとり、

己の出自を誇るバラモン青年に対し、あえて相手の土俵に乗った上でやりこめる様子が描かれている。

死後の扱い

説話集「ジャータカ」では釈迦の過去世についての設定が拡張され、

大乗仏教に先立って「菩薩」の概念も発達した。


大乗仏教における扱いは釈迦如来を参照。

外部リンク

釈迦(ウィキペディア日本語版)

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