概要
路線名 | 岩泉線 |
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ラインカラー | グレー |
路線区間 | 茂市〜岩泉 |
路線距離 | 38.4㎞ |
軌間 | 1,067 mm |
駅数 | 9駅 |
非電化区間 | 全線 |
最高速度 | 85km/h |
単線区間 | 全線 |
閉塞方式 | スタフ閉塞式 |
保安装置 | ATS-Ps |
運転指令所 | 盛岡総合指令室 |
第一種鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
休止日 | 2010年(平成22年)7月31日 |
廃止日 | 2014年(平成26年)4月1日 |
茂市駅(岩手県宮古市)と岩泉駅(下閉伊郡岩泉町)を結んでいた東日本旅客鉄道(JR東日本)の地方交通線。起点の茂市駅以外に接続する鉄道路線の無い盲腸線であった。
この路線の原型となる小本線は、茂市駅から小本駅(現・岩泉小本駅)まで結ぶ路線として計画され、1942年(昭和17年)に茂市駅〜岩手和井内駅間が開通した。その後徐々に延伸し、1972年(昭和47年)2月6日に浅内駅〜岩泉駅間が開業し現在の路線名へと改称した。
開業以来、1㎞あたりの平均輸送人員が一度も100人を超えたことはなく、列車も一日4往復、全線通しで走る列車はわずか3往復という超閑散路線であった。
特定地方交通線に指定されたことがあり、本来は国鉄の分割民営化と同時に廃止されていてもおかしくない路線であったが、並行する幹線道路の幅が狭くバスが運行できないなどの事情があり、廃止保留という形で運転が続けられていた。
2010年(平成22年)7月31日に土砂崩れが発生し列車が脱線、以来長期にわたって運休が続いていたが、復旧費用などの採算面を鑑み、並行する道路の拡張を行ってバスを運行することでJRと県が合意し、2014年(平成26年)4月1日をもって正式に廃止された。
なお、運休直前の2009年(平成21年)の平均輸送人員は1㎞あたり46人で、これはもちろん全国のあらゆる鉄道路線の中で最も少ない。
なお、この路線の中間駅の一つである押角駅は、全国でもその名を知られる屈指の秘境駅であり、鉄道ファンからは人気であった。
直通運転
以下の区間で直通運転を行なっていた。
沿革
- 1942年(昭和17年)6月25日:鉄道省の小本線として茂市駅〜岩手和井内駅間開業。岩手刈谷駅、岩手和井内駅開業。
- 1944年(昭和19年)7月20日:岩手和井内駅〜押角駅間延伸。押角駅開業。貨物営業のみ。
- 1947年(昭和22年)11月25日:押角駅〜宇津野駅間延伸。宇津野駅開業。岩手和井内駅〜宇津野駅間で旅客営業開始。
- 1948年(昭和23年)11月26日:災害により全線運休。
- 1949年(昭和24年)3月5日:全線運転再開。
- 1957年(昭和32年)5月16日:宇津野駅〜浅内駅間延伸。岩手大川駅、浅内駅開業。宇津野駅廃止。
- 1966年(昭和41年)10月1日:中里駅開業。
- 1972年(昭和47年)2月6日:浅内駅〜岩泉駅間延伸に伴い全線開通。二升石駅、岩泉駅開業。旅客営業のみ。路線名を岩泉線に改称。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴いJR東日本が第一種鉄道事業者として継承。
- 2010年(平成22年)7月31日:押角駅〜岩手大川駅間で土砂崩れが発生し、下り列車が乗り上げ脱線。以後廃止まで運休。
- 2013年(平成25年)11月8日:JR東日本が国土交通省に廃止届を提出。
- 2014年(平成26年)1月8日:JR東日本が国土交通省の承認を得て廃止日繰上げの届出。
- 2014年4月1日:全線廃止。岩手刈谷駅、中里駅、岩手和井内駅、押角駅、岩手大川駅、中沢駅、二升石駅、岩泉駅廃止。
運行形態
普通列車のみの運行で、前述の通り全線で運行される列車は1日3往復、岩手和井内折り返しの区間便を入れても4往復のみの運行だった。
また山田線宮古駅発着の直通列車が半数設定されていた。朝の岩手和井内行及び日中の岩泉行が宮古発、朝と最終の岩泉発が宮古行だった。
駅一覧
使用車両
いずれも盛岡車両センター所属。
キハ52・キハ58は国鉄時代から使用。老朽化に伴い2007年(平成19年)に引退した。
キハ110は前者の置き換えの為に導入され、廃止まで運用された。