概要
軍事活動を起こすにあたって「情報収集」とともに必要とされるもの。
そのなかでも「兵站(へいたん)」とは以下を総括するものを指す。
これらの「補給」が軍事作戦を左右するものとなっており、補給ラインを「兵站線(補給線)」という。
「戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る」という格言が存在する程、古来より極めて重要視されてきた。
もちろん、「兵站線」を確保することは敵味方双方にとっても勝敗を左右することとなり、織田信長が道路を拡張したのも物資の輸送を楽にするという一面もあった。
羽柴秀吉が行った「三木の干殺し」や「鳥取の飢え殺し」、「高松城の水攻め」などの陰惨さは「兵站線」の寸断を作戦としており、後に秀吉が行った「小田原攻め」も援軍が来ない心理的な圧迫と「兵站線」を寸断して中長期的な計画に立ったものであった。
そのなかにあって、「略奪」によって勢力を急拡大させた「国」がある。モンゴル帝国である。
モンゴル帝国は騎馬という機動力に特化した軍団を駆使、「遠征」と「略奪」をくりかえしたことで金や南宋を滅ぼしただけでなくユーラシア大陸を席捲、ヨーロッパまで勢力を拡大した。
しかし、「略奪」だけで国を保つことはできない。モンゴル帝国は元などの汗国に分立して存続したが、もともとの民族が小さいこともあって150年足らずで滅亡してしまった。遊牧民族という特異性を発揮しても尚、兵站無き軍団は最後まで生き残れなかったのである(とはいえ、モンゴル帝国軍も略奪だけに頼っていたわけではなく、家畜の群れやそれを管理運営する者も軍と共に移動するという遊牧民の特徴を最大限に活かした独特の兵站も持っていた。この独特な兵站や略奪や機動力という持ち味も遊牧民ゆえの産物で、逆を言えば遊牧民の生活スタイルを続けなければ、これらを維持することが出来なかった。土地に縛られる領域国家の体裁を整えるほど、モンゴル帝国軍の独自の強みが失われるというジレンマがあったといえる)。
このように一見地味に見える「兵站」も戦略・戦術の上から最も重要なものとみなされる。
むしろ、兵站を怠ったり軽視した軍隊は歴史上必ずと言って良いほど敗北しており、逆に兵站をしっかりと整備し最大限に活用した軍団は最後に必ず勝利している。
関連項目
制服兵器兵站局 兵站輸送作戦 腹が減っては戦はできぬ 物量作戦