概要
軍事活動を起こすに当たって「情報収集」と共に必要とされるもの。
その中でも「兵站(へいたん)」とは以下を総括するものを指す。
これらの「補給」が軍事作戦を左右するものと成っており、補給ラインを「兵站線(補給線)」という。後方支援と呼ばれる場合もあるが、それも兵站に含まれる。
「戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る」という格言が存在する程、古来より極めて重要視されてきた。
勿論、「兵站線」を確保する事は敵味方双方に執っても勝敗を左右する事と成り、織田信長が道路を拡張したのも物資の輸送を楽にするという一面も在った。
艦隊これくしょんにおいても、イベント海域への度重なる出撃で物資が枯渇し、進軍がままならなくなったという提督の例は後を絶たない。いくら強力な艦娘たちを揃えていたとしても、補給や必須兵装(例:渦潮の被害を減らす電探、基地型深海棲艦に対する三式弾や戦車、潜水艦に対するソナー・爆雷等対潜兵装)、大破・疲労に備えた修理バケツや間宮・伊良湖の準備ができないなら攻略すら出来ないのだ。ブラウザ版艦これにおける提督の仕事とは、これら兵站管理そのものである。
欠点
- 兵站線が途絶えると前線の活動が困難となる。水や食料が枯渇するだけでも戦えない。
- 補給部隊そのものは高い戦闘力を持たない場合が多く、敵側からすれば叩きやすくコスパの良い格好の的として狙われやすい。
- 距離が長いほど輸送コストや襲撃のリスクが増える。
- 膨大な量の物品を管理する必要があり、戦闘以外の事務管理能力も必要となる。
例
羽柴秀吉が行った「三木の干殺し」や「鳥取の飢え殺し」、「高松城の水攻め」等の陰惨さは「兵站線」の寸断を作戦としており、後に秀吉が行った「小田原攻め」も援軍が来ない心理的な圧迫と「兵站線」を寸断して中長期的な計画に立ったもので在った。
その中にあって、「略奪」によって勢力を急拡大させた「国」がある。モンゴル帝国である。
モンゴル帝国は騎馬という機動力に特化した軍団を駆使、「遠征」と「略奪」を繰り返した事で金や南宋を滅ぼしただけで無くユーラシア大陸を席捲、ヨーロッパまで勢力を拡大した。
しかし、「略奪」だけで国を保つ事は出来ない。
モンゴル帝国は元等の汗国に分立して存続したが、元々の民族が小さい事も有って150年足らずで滅亡してしまった。
遊牧民族という特異性を発揮しても尚、兵站無き軍団は最後まで生き残れ無かったのである(とは言え、モンゴル帝国軍も略奪だけに頼っていた訳では無く、家畜の群れやそれを管理運営する者も軍と共に移動するという遊牧民の特徴を最大限に活かした独特の兵站も持っていた。この独特な兵站や略奪や機動力という持ち味も遊牧民ゆえの産物で、逆を言えば遊牧民の生活スタイルを続けなければ、これらを維持する事が出来なかった。土地に縛られる領域国家の体裁を整える程、モンゴル帝国軍の独自の強みが失われるというジレンマが有ったと言える)。
この様に一見地味に見える「兵站」も戦略・戦術の上から最も重要なものとみなされる。
寧ろ、兵站を怠ったり軽視した軍隊は歴史上必ずと言って良いほど敗北しており、逆に兵站をしっかりと整備し最大限に活用した軍団は最後に必ず勝利している。
しかし、勝った側であるから十分な兵站を維持できていたというとそうではないことが多い。
WW2中に複数の国にレンドリースをしつつ2方面に展開した自軍の兵站も維持できていたアメリカがおかしいだけである。そのアメリカでさえ局所的に見れば日本以下のひどい状況に陥っていた部分もある、と力押しでの維持もどこかほころびがあり、万全とはいえないものであった。
兵站を軽視していたといわれる日本でさえも想定上では十分であり、想定外に戦線が広がってしまったために生産余力の不足に陥り、更に生産力が奪われ、補給路も寸断された結果、兵站が破綻してしまっている。加えて無条件降伏しか許されず戦争を続けて交渉の余地を作るしかないとどうしようもない状況に陥っていた。不足すること自体は理解していたものの、開戦自体の回避もタカ派だけでなく煽られた国内世論の開戦派を無視できずに国内を割ることになりかねず、事実上不可能であった。
他国でも兵站線があまり伸びていなかったり、他国の支援があったために拙さが表に出ていなかった部分もある為、想定外の事態が起きていれば簡単に破綻していた程度であった。そもそも現代ほど兵站の概念が理解されておらず、備えてもいなかったため、当然ではあるが。
関連項目
制服兵器兵站局 兵站輸送作戦 腹が減っては戦はできぬ 物量作戦
基本 基礎 朝鮮出兵 独ソ戦 インパール作戦 大砲とスタンプ