概要
『ウマ娘プリティーダービー』のミスターシービーとカツラギエースのコンビ・カップリングタグ。
関係性
リリース2周年に合わせてミスターシービーが育成実装されると同時にカツラギエースも登場を果たした。2周年エピソードやシービーの育成シナリオでは随所でエースが奔放なシービーに振り回されたりしながらも友人兼ライバルとして良好な関係を築いている様子がうかがえる。
「シービーを育成していたらシビエス沼にハマった」との証言も上がっているとか。
なおそれより前、2022年5月実装のシービーのSSRサポートカード「Dear Mr. C.B.」のエピソードは皐月賞で出走したとあるウマ娘のモノローグとなっているが、このウマ娘がカツラギエースであると見る向きも(なお同レースではエースは苦手な不良馬場に苦しみ11着に終わっている)。
史実
3歳(当時4歳)ミスターシービー3勝1敗カツラギエース1勝3敗
4歳(当時5歳)ミスターシービー1勝3敗カツラギエース3勝1敗
8回対戦し、4勝4敗の五分の成績
史実で対戦したレース 同期(83世代)
年 | レース名 | ミスターシービー | カツラギエース | 他の1着馬 |
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1983 | 皐月賞 | 1着 | 11着 | 不良馬場 |
1983 | 東京優駿 | 1着 | 6着 | |
1983 | 京都新聞杯 | 4着 | 1着 | |
1983 | 菊花賞 | 1着 | 20着 | |
1984 | 毎日王冠 | 2着 | 1着 | |
1984 | 天皇賞 | 1着 | 5着 | |
1984 | ジャパンカップ | 10着 | 1着 | |
1984 | 有馬記念 | 3着 | 2着 | シンボリルドルフ |
クラシック戦線では19年ぶりの三冠を達成したシービーに対しエースはなかなか勝ちきれないレースが続いた。特に「前哨戦で勝って本番で負ける」例が続いていたが(83年京都新聞杯→菊花賞、84年毎日王冠→天皇賞(秋))、84年ジャパンカップでそのシービーと後輩の無敗三冠馬シンボリルドルフをまとめて完封、初の日本馬による同レース勝利の栄誉を勝ち取った。
引退後
2000年7月に死去したエースの墓碑銘にはファンの手により
「あの"ジャパンカップ"を想い出します
"ジャパンカップ"の感動を!!
もう一度、君とミスターシービーの対決を!!」
カツラギエース育成エンディングの元ネタはこれ
と刻まれている。
同年12月には後を追う様にシービーも死去した。
逃げのカツラギエースが先に引退、死去し、追い込みのミスターシービーが後で引退、死去、脚質までも同じ。
不思議な事あるんですね。
引退から38年、没後22年余りにして姿は違えど「もう一度の対決」の舞台が戻ってきたことになる。