丑の刻参り
うしのこくまいり
コ ノ 怨 ミ 、 晴 ラ サ デ 置 ク ベ キ カ―――!
概要
丑の刻参りとは本来の意味としては、丑の刻(現在の約午前1時から約3時までの間)に京都の貴船神社や岡山の育霊神社等に参拝し、祈願成就を行うための願掛けの言葉で……有った。
だが、徐々に祈願成就の呪い(まじない)ではなく、相手を呪うためだけの儀式に言葉が転用され、現在に伝わっている。
元々人形を使った呪術は古くから日本にも伝わっており、奈良時代などの古い時代から既に人形に釘を打ち込む呪術の形式は知れ渡っていた。
その呪術が陰陽道や橋姫伝承などと結びつき、現在の姿の丑の刻参りの姿になったのは江戸時代からといわれている。
その形式
一般的には白装束をまとって下駄を履き、頭に鬼の角の様にロウソクを立てて、藁人形に五寸釘を打ち込む姿だけのイラストがおおいがそれでは不十分であり、儀式として成立しない
正しくは顔を白粉で塗りたくり、頭には五徳を被り、その上にロウソクを乗せるので最低でも3本以上必要である。
また、下駄は一本歯にしなければならず、胸元には魔よけの鏡、懐には護り刀を備え、口に櫛を加えた姿をすることで完成である。
後は呪いたい相手に見立てた藁人形を神社のご神木にあて、五寸釘を頭、または心臓部に一心不乱に呪いを籠めて誰にも見られないように打ち付けるだけである。
藁人形に呪いたい相手の髪の毛や血液、皮膚があればより効果が現れるといわれている。
ただし、この丑の刻参りを見られた場合は呪っていた術者本人に呪いが跳ね返ると言われているため、もし目撃されたら目撃者を始末しなくてはならない。そのための護り刀である。
怪談の題材として
現代怪談にも度々登場する題材であり、主人公が丑の刻参りを目撃してしまい、術者に追いかけられるという話がよくあるパターンである。しかしながら、シチュエーションは帰り道や、修学旅行、肝試しなど多岐に渡るように、結末も異なる。「見たなぁ?」というタイトルでも知られ、丑の刻参りではなく、墓を荒らしていた妖怪や人間というパターンもある。
結末について
①助かったと思ったら…
トイレなどに逃げ込み、やり過ごしたと思ったら天井に術者がこっちを睨んでいたという結末。
その後主人公がどうなったかまでは語られないことが多い。
これとは別の怪談ゾンビ看護師も似たような結末で終わる。
②助かる
主人公は助かり、術者は呪詛返しで死ぬというパターン。
ただし
確かに呪いの行為と相手の死の因果関係を科学的に証明出来ないめ、直接は殺人罪に問われる事はない。
だが現実世界でこれをやろうものなら、神社への不法侵入(下記詳述)・御神木へ釘を打ち込んだ器物損壊などで警察の御用になるのは明白である。
2022年の実例として、ウクライナ侵攻への抗議としてプーチン大統領の顔写真を貼った藁人形を神社の御神木に打ち付ける事件があったが、容疑者は不法侵入で逮捕された。デイリー新潮(リンク先はタブロイド紙の記事だが、地上波TVでも報道されていた)
服装などは上記にある正式な作法に則っておらず、犯行時刻も真っ昼間と儀式としてはずさんそのものだったようだ。
儀式を見られたからといって、目撃者に襲い掛かれば当然殺人未遂の現行犯で逮捕される。
また、呪いたい相手に呪った事が解るように振る舞った結果、脅迫罪が適用されたケースもある上、知らされた相手が気に病んでうつ病でも発症すれば傷害罪に問われるし、儀式の様子をネットで晒せば名誉毀損…等々、様々な罪に問われる可能性がある。民事訴訟の被告になる線も充分有り得る。「直接手出しをしてないからセーフ」は通らないのだから、最初からやらないのが身のためである。
お釈迦様も「呪いを実行したら地獄へ落ちる(意訳)」と仰っている。
他人を呪おうという時点で、霊的・宗教的なものを信じているのだから、お釈迦様の言葉の重みは判ってもらえるだろう。それでもというなら、それなりの覚悟をもってやるべきだが、
人を呪わば穴二つという諺にもあるとおり、相手だけでなく自分も不幸にしてしまうので全くオススメできない。ダメ、ゼッタイ。
また、先述の「丑の刻参りの正式な作法」を見てもらえばわかる通り、かなりの奇抜で禍々しい異様な出で立ちになるのがおわかりだろう。しかもそれらを完璧に遂行するのは実に困難でありこれそのものこそが呪いである。本当に恐ろしいのは呪いよりも誰しもの心の奥底に潜む闇である事を常に心掛けておきたい。