概説
貴船山中腹に社殿を構える。
大鳥居から本殿へと向かう参道の大階段の風景が有名で、pixivでもこの本殿参道を描いた投稿作品がよく見られる。
創建は不詳だが、反正天皇の御代である5世紀前半が最初とされ、神武天皇の母君である玉依姫尊が黄色い船に乗り、淀川→鴨川→貴船川と遡って貴船山に至り、この地で水神を祀ったことが謂れだという。
「貴船」は玉依姫尊が乗った【黄色い船】、若しくは【“気”の“生”ずる“根”元→気生根】が語源と謂われる。
古くから皇族所縁の雨乞いの聖地として知られ、祭事の供物に白馬を奉納して祈祷したこと由来して「板立馬」という木板に馬の絵をかいて奉納するようになり、これが絵馬の起源としている。
そこから貴船神社は「絵馬発祥の地」として知られ、江戸時代に我々が良く知る絵馬の形と大きさになって参詣者の祈願に用いられるようになったという。
本堂参道のほか、本宮、奥宮と「御船形石」、結社など、山中の厳かな雰囲気を味わいながらの参詣が醍醐味といえる。
祭神
高龗神を主祭神として頂く。
副祭神として闇龗神を添え、二柱一対とする。
両神は迦具土神を斬り殺した伊弉諾尊の十拳剣天尾羽張剣に滴り、柄へと伝って落ちた迦具土神の血から生まれた、と『日本書紀』に記される兄弟関係にある。
高龗神は貴船山の峰に降る雨や雲、闇龗神は谷間を流れる貴船川の水流を司るとされる。
神徳は水神であり、特に天候神としての特色が強い。
そのため「龗」が【雨風を司る精霊】を意味するとこから、後に龍神としても祀られている。
また磐長姫を結社として頂いている。
瓊瓊杵尊に大山祇神へと突き返されてしまった磐長姫が恥じ入って貴船山に籠り、「この地から多くの夫婦の幸せを願おう」と貴船山に根を下ろしたことを由緒とする。
このため縁結び神社としても古くから知られ、昨今では平安京ブームや陰陽師ブームも手伝ってカップルや女性の参詣者も増え続けているという。
「裏」貴船縁起
貴船神社には、縁切り神社としての側面もある。
それも平安京「最強の」と但し書きが付くレベルの強烈なパワーを秘めている。
そもそも磐長姫は瓊瓊杵尊に一方的に振られてこの地に降臨し、失恋の痛みを抱えてなお夫婦の幸せを願ったほどの愛の深い女神である。
それは裏を返せば愛憎にはより敏感な女神様という側面も意味し、丑の刻参りの起源の一つと謂われる宇治の橋姫伝説において、橋姫となった貴族の娘に「生成り(生きたまま鬼となる)の呪法」を授けたのは他のならぬ貴船神とされる。
……それ故に、神社の一角にはおびただしい数の“縁切り祈願の絵馬”の集まる場所があり、「悪い男から逃げたい」「元彼との未練がましい関係を絶ちたい」という切実なものから、「あの二人別れろ」「早く破局して私と彼で幸せになれますように」「浮気した彼も女もどっちも■■■」というドス黒さの滲むまで、千差万別の縁切り祈願が軒を連ねている。
安易に奉納場所や、絵馬の内容を詮索するのはやめておきましょう。
上下の記載にある通り、貴船神の御神威は古く強力なので、何があっても責任はとれません。
平安京の「玄武」
貴船山は平安京北方に位置する小高い山であり、「四神相応」における玄武の位置を司る北の要石とされた。
同時に龍神であり、貴船山の水脈は神泉苑に流れ込む水源であると目されており、風水学の上では平安京の龍脈の根元として重要視されてきた。
「気生根」の故事が示すように、この地は古くから生命力の泉として守られてきた背景があるのだ。
皇族所縁の祈祷の地であり、京の北の守護者「玄武」と目された貴船神社は、非常に強い霊威を秘めている。