概要
単に文字面だけなら「自分(我)の田んぼに水を引く(注ぐ)」事。
しかし「自分の田んぼに水を引く」というのは農村であれば、そのための地域毎の取り決めが存在していた。水源が確保され致命的なロスもなく水道が完備される現代の都会であるならばいざ知らず、農村における水(農業用水)とは紛れもなく地域産業の生死を握る要である。
ゆえに昔は(地域によっては今も)水の利用には村落集落内部の各家はもちろん、村落間ひいては地域共同体間・国家単位間で計画的な取り決めが成されていた。
で、そんな中で「自分の田んぼに水を引く」行為とは、つまりは村落間で争い(戦争)が起こらないように皆が頑張って取り決めてきた事を「自分だけがいい思いをする」ために破る迷惑な行為なのである。
もちろん取り決めを守ってきた側からすれば「よろしい、ならば戦争だ」というレベルの無法行為。このために人死にが出るのは人類の歴史上、あるいは現在でも決して珍しい事ではない。
そこで、これが転じて様々な状況や理論を自ら、あるいは、自らの属する組織「のみ」の利益とするため、本来の在り方から「強引に」捻じ曲げて「身勝手に」用いることを「我田引水」と称するようになった。
自分の市町村に鉄道路線を誘致する場合、我田引水を捩って「我田引鉄」という造語が使われる。別の理由で出来た駅(岐阜羽島駅等)がある地域に対するレッテル貼りとしても使われる事が多い。
更に悪質なケースとして、上記の我田引水に加えて他者に不利益どころか廃止・値上げ等の改悪を一方的に押し付けるモノもある。