概要
単に文字面だけなら「自分(我)の田んぼに水を引く(注ぐ)」事。
しかし「自分の田んぼに水を引く」というのは農村であれば、そのための地域毎の取り決めが存在していた。水源が確保され致命的なロスもなく水道が完備される現代の都会であるならばいざ知らず、農村における水(農業用水)とは紛れもなく地域産業の生死を握る要である。
ゆえに昔は(地域によっては今も)水の利用には村落集落内部の各家はもちろん、村落間ひいては地域共同体間・国家単位間で計画的な取り決めが成されていた。
で、そんな中で「自分の田んぼに水を引く」行為とは、つまりは村落間で争い(戦争)が起こらないように皆が頑張って取り決めてきた事を「自分だけがいい思いをする」ために破る迷惑な行為なのである。
もちろん取り決めを守ってきた側からすれば「よろしい、ならば戦争だ」というレベルの無法行為。このために人死にが出るのは人類の歴史上、あるいは現在でも決して珍しい事ではない。
そこで、これが転じて様々な状況や理論を自ら、あるいは、自らの属する組織「のみ」の利益とするため、本来の在り方から「強引に」捻じ曲げて「身勝手に」用いることを「我田引水」と称するようになった。
自分の土地に水を引く為に、交換条件として相手に土地の一部を譲渡した実例もある。
福岡県大牟田市と熊本県荒尾市の県境付近に3か所存在する荒尾市の飛地がこれに該当する。
江戸時代の現在の県境付近では、三池藩(大牟田市側)は水を引く条件が悪く、そこで肥後藩(荒尾市側)が用水路整備で水を引きやすくした代わりに三池藩から一部の土地を譲り受けた経緯がある。それが現在の荒尾市飛地として受け継がれているが、何故飛び地となったのかは不明。
我田引水の鉄道版は我田引鉄である。しかしこちらの場合は風評被害やレッテル貼りの手段としての悪用、元ネタ(ここでは我田引水を指す)以上に不毛な争いの例えとされる場合が多いのが現状である。上記の飛地譲渡に似たマトモな事例も無いわけではないが極めて稀。