この企業は神奈川県横浜市の公営交通事業を行う部局。なおこの企業は地方公営企業(都道府県および市町村が経営し、行政予算と切り離された独立採算制となっており、給水事業・電気事業・交通事業・ガス事業などが該当する)。
業務
この企業は現在では地下鉄(高速鉄道)および路線バス事業を行っている。また、過去においては路面電車(市電)およびトロリーバス事業なども行っていた。
収益は他の同種の企業と比べ非常によく、特にバス事業ではかなりの黒字を出している(鉄道事業は赤字が続いていたがそれでも他と比べるとまし、しかも平成22年に黒字となった)。
歴史
この会社は横浜電気鉄道(横浜の市街地に敷設された路面電車であり軌間1372mm、いわゆる馬車軌間とし、明治37年より運営されていた)の路線を買収(620万円とも688万円とも)し、市電として運営するために作られた。当時の名称は横浜市電気局であった。
その後関東大震災による運休(1ヶ月以上)があった。また、かなりの電車が焼失し、再開後も屋根なしのバラック電車が走ったともいわれる。この時、京王電気軌道【現在の京王電鉄】から応援の車両を譲渡されたが、当時軌間が同じだった東京市電と京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄本線)を自力走行してやって来た。
【桜上水→新宿追分(現在の新宿三丁目付近)→北品川→神奈川駅付近】
昭和3年、バス事業を開始する。これは現在まで続いている。
太平洋戦争中の昭和20年5月、横浜大空襲(横浜市内に行われたアメリカ軍により行われた焼夷弾による無差別爆撃、焼夷弾のデータを取るために行われたといわれる)により多数のバスおよび電車(それぞれ53台、45両)を焼失。
戦後昭和21年には現名称に改められた。
そして昭和34年、トロリーバスの営業が開始される。これは都市内営業においてはもっとも遅い開業であり、おそらくは市電よりも安上がりに路線を増やすことができると考えたためであろうと思われる(他の地域では戦中戦後の動力不足やバスの大出力化の困難さによるもの)。
ところが昭和30年代後半からの自動車社会の進捗、根岸線の開通などもあり、市電の維持が重荷となっていた。また市電およびトロリーバスのワンマン化が遅れ採算が悪化していた。
路線の一部撤去なども行ったものの、力及ばず昭和51年、市電およびトロリーバスは全廃となった(なおトロリーバスに関しては廃止時は黒字であったが、これだけのために電化設備を残すわけにはいかなかったことと、維持費の関係で廃止)。
同じ年、地下鉄(現ブルーラインの一部)が開通。その後路線がどんどん延伸されていった。
また、平成20年にはグリーンラインが開通した。
pixivにおいては横浜市電のイラストが多い。
鉄道むすめ
トミーテックが展開する鉄道むすめでは一人、横浜市交通局所属がいる。