ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

二条兼基の編集履歴

2024-06-30 13:59:40 バージョン

二条兼基

にじょうかねもと

二条兼基とは鎌倉時代中期の公卿。

概要

二条良実の三男、官位は従一位、関白左大臣


プロフィール

時代鎌倉時代中期
生誕文永4年(1267年)
死没建武元年8月22日(1334年9月20日
官位従一位、摂政関白太政大臣
主君後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇
氏族二条家
父母父:二条良実、母:坊門基信の娘、養父:二条師忠
兄弟師忠、兼基、ほか
九条忠教の娘、京極為顕の娘
道平師基、今小路良冬ほか

経歴

文永4年(1267年)に誕生、弘安6年(1283年)に従三位となる。弘安10年(1287年)に参議権中納言、翌年の正応元年(1288年)に権大納言、正応4年(1291年)に内大臣・後に右大臣となる。永仁4年(1296年)に左大臣、永仁6年(1298年)に摂政、翌年の正安元年(1299年)に太政大臣となる。正安2年(1300年)に関白に就任。


外部リンク

二条兼基 - Wikipedia


関連タグ

朝廷 公卿 二条家 三宝院満済

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました