概要
新約聖書においてイエス・キリストが誕生した際、彼の家族を訪問し祝福をした三人(とされる人数)の博士(マグス)のこと。『東方の三賢人』『東方の三賢者』とも。原文には三人と明言されていないが、この人数とされたのは、贈った物が三種類(黄金、乳香、没薬)であったことから。
名前通り「東方」(後述)出身の人物達であり、星の動きや輝きから世界の情勢を見極める占星術師を務めていた。彼らがキリストの元へ辿り着けたのも、占星術によりその事実を知り、天の導きを得た為である。
この三人が来訪の後でどうなったのかは明言されてはいない。他の宗教と同じく、キリスト教は舞台・布教者が実在するものである為、彼らにも何らかの元ネタが存在すると思われるのだが……。
聖書ではキリスト訪問前、イスラエル王のヘロデに事後報告を求められたが、神から『王に会わずに帰れ。赤ん坊を殺す気だ』と伝えられ、その通りに帰還したとされる(自らの地位を脅かしかねないイエスの話を聞いた事により、居場所を聞き出して殺ろうとした模様)。
具体的には、マタイによる福音書の2章12節によれば次のとおりである。
ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。 (※引用1)
彼らの報告を得られなかった王はその後赤ん坊抹殺命令を出したが、イエスの両親もまた神託を受けていたので無事に逃げのびる事が出来た。
新約聖書での登場
「東方の三博士」と通称される人物たちは「 占星術の学者たち 」として新約聖書、マタイによる福音書に登場する。占星学者たちに関連する章および節は、同福音書の2章1節から12節。13節では帰還の途に就いたことも語られている。
具体的な人数は不明ながら、「占星術の学者たち」(参考1)、「彼ら」(参考2)と表現されている事と贈り物の数(参考3)から、複数にして三名とされることが多い。
占星術の学者たちの登場と活動
占星学者たちは星の啓示に導かれてエルサレムへとやってきた。マタイによる福音書2章2節にはエルサレムを訪れた占星学者たちの、当時の王であるヘロデに対する次のような言葉がある。
言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 (※引用2)
しかしこの言葉を受けたヘロデ王は新たな王の誕生に不安を抱き、配下の祭司長や律法学者の見解(参考4)を受けたうえで再度占星学者達を呼び寄せ、詳細な調査と、発見し次第の報告を命じる。
この際ヘロデ王は占星学者たちには彼らがメシアを見つけて報告し次第、彼らの行程を追ってメシアを礼拝に訪れると告げたが、実際には先述のとおりメシアを殺害するためにその所在地を捉えるべく占星学者たちを利用する意図があった(参考5)。
占星学者たちがヘロデ王への謁見の後ヘロデの学者たちの見解も元にベツレヘムへの途に就いてからの経緯についてはマタイによる福音書2章9節にて次のように語られている。
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 (※引用3)
そうして彼らはその場所にある家を訪ね、母マリアとともにあった幼子に対面し、伏して礼拝する。そして持参した宝箱を開けて三種の宝物(黄金、乳香、没薬)を捧げるのである。
礼拝する事が出来た占星学者たちは、その後夢にてヘロデ王の所に帰らないよう啓示をうけたため(参考6)、来たルートとは別の道を使って各々の国へと帰ってゆく。
いつ来た?
なお先の引用3が『学者たちはその星を見て』とあるため、後述の美術作品などでは、彼らの訪問を星が見える時間帯と解釈したのか、または制作者がドラマチックな画面を演出したい都合か、まるで生誕直後の深夜帯に来訪したかのように描写されることもたびたびあるが、はっきりとした訪問の時は福音書の中に明記されていない。そのためこの場面を明るい青空の下で描いている絵画も少なくない(ボッティチェリ作、シント・ヤンス作、デューラー作など)。
前述の通り途中でヘロデ王に謁見している点から生誕当夜にやって来たというのは少々無理があるかもしれない上、英国のコメディアングループ、モンティ・パイソンがキリスト伝説をパロった1979年の映画「ライフ・オブ・ブライアン」の当該シーンのように、夜中に知らない男三人組が家に入って来たなら「三賢人です(We are three wise men.)」と自己紹介しても「午前二時に牛小屋をうろつくのが賢いとでも?」("What are you doing creeping around a cow shed at two o'clock in the morning!? That doesn't sound very wise to me! ") とクレームを浴びていたかもしれない。
というわけかどうかはさておき、例えば現在のカトリック教会の見解ではクリスマスから第12日目の1月6日がこの訪問の日だったとされ、「公現祭(こうげんさい、エピファニー)」という名で記念され、イタリアやスペインなどでは国民の祝日のひとつになっている。
訪問の後と「ナザレのイエス」
占星学者たちが帰った後に父ヨセフに天使を通して啓示があり、ヘロデ王の策略が教えられ、エジプトへの避難が命じられる。ヨセフはその夜に速やかに幼子とマリアをつれてベツレヘムを脱出する。そしてヘロデ王の死後、再び天使のお告げによってイスラエルの地に戻るよう命じられ、ベツレヘムから離れた北部のナザレの町に移り、以後はそこで暮らした。こうして彼は「ナザレのヨセフ」と呼ばれるようになり、その子ものちに「ナザレのイエス」と称されるのである。
他の福音書では
今日の新約聖書にはマタイによる福音書の他マルコ、ルカ、ヨハネによる各福音書があるが、「東方の三博士」または「占星術の学者たち」の登場が具体的に語られるのはマタイによる福音書のみである。
例えばルカによる福音書ではイエスの誕生を祝福したのは天使の啓示を受け、さらにそれに呼応した天の大軍による神への賛美を目撃したベツレヘムの羊飼いたちである(参考7)。
同福音書では啓示を受けたこの羊飼いたちが、母マリアや父ヨセフ以外の人間としては初めてメシアとしてのイエス(当時はまだ名前は付けられていない)を訪ねた人物たちである。
マルコによる福音書やヨハネによる福音書ではイエスが最初に語られる際にはすでに伝道を始める年齢(参考8、参考9)となっており、イエスに先行してその「道」を整えるよう啓示が与えられた洗礼者ヨハネによって洗礼を授けられる段階となっている。
以後の影響
占星術の学者たちの個人名についてはマタイによる福音書含め正典の聖書のなかでは語られていないが、教会などの立場によって様々に名前が付されることもある。
主としてヨーロッパでは7世紀から、贈り物を送った賢者に、それぞれに異なる象徴を当てはめている。
メルキオール【Melchior】(黄金。王権の象徴、青年の姿の賢者)
バルタザール【Balthasar】 (乳香。神性の象徴、壮年の姿の賢者)
カスパール【Casper】(没薬。将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者)
その姿やイメージは美術や芸術の観点ではイエス・キリストの生誕を描いた絵画・宗教画をはじめ各種演劇や音楽などで登場する機会も多い。近年でもそのイメージや伝説などが創作作品中に登場する各種のモチーフや象徴の基盤となることもある。
また前述の通り、彼らがいつ来たかが定かではないため、背景は昼や夜などさまざま。
「東方」
先述のとおり、「東方の三博士」における「東方」とはイエス・キリストの生誕地から見た地理的な要素に基づくものである。特定の視点から他方を眺めた際の用法という「東方」をみるとき、同種のコンセプトのものとして「東方見聞録」(※)などがある。
「東方」は一般名詞としても様々な要素や用法を備えたものであり、個別の創作作品においても様々な「東方」が用いられている。本記事の記述するところの「東方の三博士」含め、pixivにおける様々な「東方」の使われ方については「東方」記事を参照。
※マルコ・ポーロ口述、ルスティケロ・ダ・ピサ編纂による旅行記の主な日本語版タイトル。
引用出典・参考箇所
引用
引用はすべて日本聖書協会による『新共同訳 新約聖書』(1997版)によるものである。
詳細具体的な引用は次の通り。
引用1 : マタイによる福音書 2章12節
引用2 : マタイによる福音書 2章2節
引用3 : マタイによる福音書 2章9節
参考
参考はすべて先述の引用と同様に日本聖書協会による『新共同訳 新約聖書』(1997版)によるものである。詳細具体的な参考内容と参考箇所は次の通り。
参考1 / 「学者たち」の表記 : マタイによる福音書 2章1節
参考2 / 「彼ら」の表記 : マタイによる福音書 2章9節
参考3 / 捧げた宝物の数 : マタイによる福音書 2章11節
参考4 / ヘロデ配下の学者たちの見解 : マタイによる福音書 2章4節から同章6節
参考5 / ヘロデの言葉と意図 : マタイによる福音書 2章8節及び同章13節
参考6 / 占星術の学者たちへの夢のお告げ : マタイによる福音書 2章12節
参考7 / 祝福する羊飼い : ルカによる福音書 2章8節から同章20節
参考8 / ヨハネとの出会い : マルコによる福音書 1章9節から同章11節
参考9 / ヨハネとの出会い : ヨハネによる福音書 1章29節や同章35節