概要
陽字号駆逐艦はかつて中華民国海軍に所属した駆逐艦の艦級。
名称に「陽」が付く。
中華民国海軍の新造艦の艦種ではなく、第二次世界大戦時代に建造された日本・アメリカ海軍の駆逐艦で構成される。
1947年に最初のグループが引き渡され、2005年11月26日(辞令としては2006年1月1日)まで在籍した。
歴史
第二次世界大戦終戦後から台湾亡命まで
第二次世界大戦後、戦勝国となった中華民国は賠償艦を取得できることになるが、人員不足や整備能力の観点から駆逐艦以下の艦艇を取得する流れとなり、日本海軍の駆逐艦6隻、海防艦17隻を含む34隻が割り当てられた。
1947年7月3日から日本の賠償艦の第一陣7隻が引き渡されたのを皮切りに送り込まれた。なお武装は解除されていた。
なお、鐘漢波氏の「駐外武官的使命」の記載によると引渡し前の時点で整備状態は良好だったが、3隻は中国に来た時には機器類が壊れていたり、水没したりと状態が悪化しており、日本側の人員が使えなくするためにワザとやったと判断したと記載している。その一方、雪風は日本で視察した時点で状態がすこぶる良い状態で、引渡しの時点で中国将校が状態の良さに驚き、日本の人員一人一人に菓子と煙草を渡した逸話がある。
1948年、7隻の旧日本海軍駆逐艦に名称が付けられ、名称に「陽」を入れた艦名が与えられる。
さて、この時代の中国は共通の敵だった日本がいなくなったことで、社会民主主義の中華民国(中国国民党・中華民国国民政府の国民革命軍)と共産主義の中華人民共和国(中国共産党率いる中国工農紅軍)が再びぶつかるようになっていた。
戦況は当初こそ中華民国側が有利だったが、次第に状況は逆転し、中華人民共和国側が中華民国側を圧倒する。
1949年、中華民国は戦況悪化から拠点を中国本土から台湾に亡命する。
この時点で陽字号駆逐艦は信陽(旧・初梅)が再武装化が完了していたが、他の陽字号駆逐艦は状態が悪く、丹陽(旧・雪風)にいたっては中国共産党の妨害工作と人員不足が重なり、再武装化が出来なかった。
共産党戦力から逃れるため、中華民国海軍の全艦艇は台湾に亡命したが、主力艦の重慶(旧英海軍・オーロラ)や砲艦長治(旧日本海軍・宇治)が船ごと共産党戦力に投降したり、攻撃で脱落したりと大損害を受けた。
陽字号駆逐艦は全艦脱出に成功したが、惠陽(旧・杉)が座礁事故で放棄され、状態が悪い艦が多く、3隻は練習艦に、1隻は解体された。
残った2隻のうち丹陽(旧・雪風)は中華民国海軍が持つ使用可能な艦艇で最大の艦になったため、中華民国海軍の旗艦となる。
台湾亡命から平成まで
1950年1月、中華人民共和国が中国を掌握したことにより、台湾の支援を行ってきたアメリカは支援を打ち切り、台湾が共産から攻撃を受けても支援しないと発表するが、1954年2月に米華相互防衛条約が結ばれ、同年同月、アメリカ海軍ベンソン級駆逐艦の2隻が譲渡され、陽字号駆逐艦に編入される。
アメリカ海軍の駆逐艦譲渡は米華相互防衛条約の失効まで行われ、失効後もアメリカからスクラップに近い価格で退役駆逐艦を購入しており、1983年まで購入した。
編入された艦はベンソン級駆逐艦、グリーブス級駆逐艦、フレッチャー級駆逐艦、アレン・M・サムナー級駆逐艦、ギアリング級駆逐艦の第二次世界大戦中に建造された艦であった。
導入した艦の多くは近代化が施され、ミサイル駆逐艦にアップグレードされた。
退役
陽字号駆逐艦は幕引きは以下のとおりである。
日本の賠償艦として所属していた艦は、丹陽(旧・雪風)が1970年に除籍されたのを最後に中華民国海軍から姿を消した。丹陽は日本に帰還する運動が起こったため、返還する話が進んでいたが、1969年の台風での損傷から解体された。
一方、アメリカ駆逐艦のグループは早い艦で1970年代には除籍されたが、多くは1990年代に除籍され、最後の艦が除籍されたのは2006年のことだった。
多くは解体され、一部は漁礁となったり、標的に使われたりしたが、德陽(アメリカ海軍ギアリング級駆逐艦 サースフィールド)は現在も残っており、博物館船となっている。
艦艇一覧
順番は元の艦級の順番とする。
日本艦艇組
艦名 | 艦級 | 旧艦名 | 編入時期 | 退役時期 | 特記事項 |
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瀋陽(初代) | 峯風型 | 波風 | 1947年 | 1960年 |
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丹陽 | 陽炎型 | 雪風 | 1947年 | 1966年 |
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汾陽 | 秋月型 | 宵月 | 1947年 | 1963年 |
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惠陽(初代) | 松型 | 杉 | 1947年 | 1954年 |
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衡陽(初代) | 松型 | 楓 | 1947年 | 1954年 |
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華陽(初代) | 橘型 | 蔦 | 1947年 | 1950年 |
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信陽 | 橘型 | 初梅 | 1947年 | 1961年 |
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アメリカ艦艇組
艦名 | 艦級 | 旧艦名 | 編入時期 | 退役時期 | 特記事項 |
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洛陽(初代) | ベンソン級 | ベンソン | 1954年 | 1975年 | |
漢陽(初代) | ベンソン級 | ヒラリー・P・ジョーンズ | 1954年 | 1975年 | |
南陽(初代) | グリーブス級 | プランケット | 1959年 | 1973年 | |
- | グリーブス級 | エリソン | - | - |
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咸陽(初代) | グリーブス級 | ロッドマン | 1955年 | 1972年 |
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咸陽(二代目) | グリーブス級 | マコーム | 1970年 | 1974年 |
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安陽 | フレッチャー級 | キンバリー | 1967年 | 1999年 | |
慶陽 | フレッチャー級 | マラニー | 1971年 | 1999年 |
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貴陽 | フレッチャー級 | トワイニング | 1971年 | 1999年 | |
昆陽 | フレッチャー級 | ヤーナル | 1968年 | 1999年 | |
惠陽(二代目) | アレン・M・サムナー級 | イングリッシュ | 1971年 | 1999年 |
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岳陽 | アレン・M・サムナー級 | ヘインズワース | 1970年 | 1999年 |
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- | アレン・M・サムナー級 | ライマン・K・スウェンソン | - | - |
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鄱陽 | アレン・M・サムナー級 | マドックス | 1972年 | 1984年 | |
襄陽 | アレン・M・サムナー級 | ブラッシュ | 1970年 | 1984年 | |
洛陽(二代目) | アレン・M・サムナー級 | タウシッグ | 1975年 | 2000年 |
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衡陽(二代目) | アレン・M・サムナー級 | サミュエル・N・ムーア | 1970年 | 1994年 |
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- | アレン・M・サムナー級 | ジョン・A・ボール | - | - |
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- | アレン・M・サムナー級 | ロフバーグ | - | - |
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南陽(二代目) | アレン・M・サムナー級 | ジョン・W・トマソン | 1975年 | 2000年 |
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華陽(二代目) | アレン・M・サムナー級 | ブリストル | 1970年 | 1994年 | |
雲陽 | ギアリング級 | ハムナー | 1981年 | 2003年 |
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當陽 | ギアリング級 | ロイド・トーマス | 1972年 | 1999年 |
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朝陽 | ギアリング級 | ローワン | - | - |
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開陽 | ギアリング級 | リチャード・B・アンダーソン | 1977年 | 1999年 |
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建陽 | ギアリング級 | ジェームズ・E・キイス | 1973年 | 2004年 |
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邵陽 | ギアリング級 | ホリスター | 1983年 | 2004年 |
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萊陽 | ギアリング級 | シェルトン | 1973年 | 1999年 |
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正陽 | ギアリング級 | ジョンストン | 1981年 | 2003年 |
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遼陽 | ギアリング級 | ハンソン | 1973年 | 2004年 |
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漢陽(二代目) | ギアリング級 | ハーバート・J・トーマス | 1975年 | 1999年 |
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德陽 | ギアリング級 | サースフィールド | 1977年 | 2005年 |
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富陽 | ギアリング級 | アーネスト・G・スモール | 1971年 | 1999年 |
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瀋陽(二代目) | ギアリング級 | パワー | 1977年 | 2006年 |
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- | ギアリング級 | ワーリントン | - | - |
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綏陽 | ギアリング級 | レオナード・F・メイソン | 1978年 | 2000年 |
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資陽 | ギアリング級 | ホーキンス | 1983年 | 1998年 |
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