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IS-2の編集履歴

2012-10-20 17:41:14 バージョン

IS-2

すたーりんつー

第二次世界大戦末期に活躍したソ連軍の重戦車。

目指すは『猛獣狩り』!

1943年初頭、ソビエトでは新型戦車の開発が行われていた。

それが「IS-1(IS-85)重戦車」で、85mm砲を装備する44tの戦車である。


契機となったのは1941年末期のティーガーⅠ実戦投入であり、『あの重戦車に対抗できる戦車を!』という危機感に応えた戦車となった。

全面装甲は100mm、側面でも90mmというティーガーⅠをも上回る防御力が特徴である。


しかし、採用された85mm砲はT-34にも搭載される事、また射程外からティーガーⅠを撃破できない事から、IS戦車にはより強力な砲を搭載する事になった。(IS-1生産開始15日目の決定である)


100mm砲と122mm砲

候補には2種類の砲があった。

ひとつは艦載砲から発展した「S-34 100mm砲」、もう一つは野戦砲から発展した「D25-T 122mm砲」である。

それぞれ利点があり、S-34は戦車砲として優秀だが、まったくの新型なので弾薬の供給には不安があった。

D25-Tは性能が少し下だが、既に配備されている野砲と弾薬が共通で、しかも85mm砲の砲架に「ポン付け」できる利点があった。

最終的には「D25-T 122mm砲」が選ばれる事になり、こうして「IS-2(IS-122)」には122mm砲が搭載される運びとなった。


ちなみに、制式化されたときは、それぞれ搭載される砲により「IS-85」「IS-122」と呼称されていたが、「名称で性能がバレてしまう」という理由により、早々に「IS-1」「IS-2」へと変更された。


ただし、ドイツ軍にはバレバレで、ドイツ戦車エースのオットー・カリウスが戦後のインタビューで、「JS(ヨット・エス)-122」と呼んでいたことを明らかにしている。


狩人の初陣

生産は1943年12月から始まっており、翌年2月から実戦に投入された。

しかし、搭載砲弾数は28発と少ないため戦闘の継続力が低い点が問題で、前線では不評であった。

ただし、IS-1から強化された防御力はまさに鉄壁で、対峙したドイツ軍に大きな衝撃を与えた。


さらに、搭載砲が野戦砲そのものだったので、対戦車戦よりも陣地突破などに投入されることが多かった。D25-Tの榴弾は強力で、威力を存分に披露することになった。

また対戦車戦においても、弾頭の重量が重いので、たとえ装甲を貫通できなくても、榴弾の爆発で装甲を割ったり、車内の乗員に衝撃を与えて戦闘不能に陥れることができた。(特にパンターには多かった事例だとか)


スターリンの××

さらに1944年4月には、弱点であった車体前面の装甲形状を変えた「後期型」が登場した。これにより防御力がさらに高くなり、ますます動くトーチカのようになっていった。

(後期型を「IS-2m」と呼称することがあるが、これは戦後に西側の研究者が勝手につけた名称で、ソビエト側ではこのような呼び方は全くされていなかった


それでも一部のドイツ戦車兵は『わざと砲塔の防盾下部に当て、跳ね返った砲弾で車体天井を貫通させる』という高等テクを披露し、最後まで粘り強く戦い続けた。


しかし数で押し続ける『イワンの蒸気ローラー』の前には無力であり、1945年5月、ドイツは無条件降伏と相成った。


戦後のスターリン

戦後も改良が続けられ、「IS-2M」へと発展した。

これはエンジンを換装し、砲塔上部のキューポラ(司令塔)に12.7mm機銃が追加するなどした型である。

戦中はチェコポーランド、戦後は中国キューバ北朝鮮に供給されたが、中東に供給されることはなかった。


IS-2はその後、IS-3T-10へと発展したが、主力戦車は中戦車のT-34から発展したT-54が担うことになり、「重戦車」というカテゴリーは廃れる事となった。


関連タグ

KV-1 KV-2 KV-3 KV-85 IS-1 IS-3 重戦車

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