目指すは『猛獣狩り』!
1943年初頭、ソビエトでは新型戦車の開発が行われていた。
それが「IS-1(IS-85)重戦車」で、85mm砲を装備する44tの戦車である。
契機となったのは1941年末期のティーガーⅠ実戦投入であり、『あの重戦車に対抗できる戦車を!』という危機感に応えた戦車となった。
全面装甲は100mm、側面でも90mmというティーガーⅠをも上回る防御力が特徴である。
しかし、採用された85mm砲はT-34にも搭載される事、また射程外からティーガーⅠを撃破できない事から、IS戦車にはより強力な砲を搭載する事になった。(IS-1生産開始15日目の決定である)
100mm砲と122mm砲
候補には2種類の砲があった。
ひとつは艦載砲から発展した「S-34 100mm砲」、もう一つは野戦砲から発展した「D25-T 122mm砲」である。
それぞれ利点があり、S-34は戦車砲として優秀だが、まったくの新型なので弾薬の供給には不安があった。
D25-Tは性能が少し下だが、既に配備されている野砲と弾薬が共通で、しかも85mm砲の砲架に「ポン付け」できる利点があった。
最終的には「D25-T 122mm砲」が選ばれる事になり、こうして「IS-2(IS-122)」には122mm砲が搭載される運びとなった。
ちなみに、制式化されたときは、それぞれ搭載される砲により「IS-85」「IS-122」と呼称されていたが、「名称で性能がバレてしまう」という理由により、早々に「IS-1」「IS-2」へと変更された。
ただし、ドイツ軍にはバレバレで、ドイツ戦車エースのオットー・カリウスが戦後のインタビューで、「JS(ヨット・エス)-122」と呼んでいたことを明らかにしている。
狩人の初陣
生産は1943年12月から始まっており、翌年2月から実戦に投入された。
しかし、搭載砲弾数は28発と少ないため戦闘の継続力が低い点が問題で、前線では不評であった。
ただし、IS-1から強化された防御力はまさに鉄壁で、対峙したドイツ軍に大きな衝撃を与えた。
さらに、搭載砲が野戦砲そのものだったので、対戦車戦よりも陣地突破などに投入されることが多かった。D25-Tの榴弾は強力で、威力を存分に披露することになった。
また対戦車戦においても、弾頭の重量が重いので、たとえ装甲を貫通できなくても、榴弾の爆発で装甲を割ったり、車内の乗員に衝撃を与えて戦闘不能に陥れることができた。(特にパンターには多かった事例だとか)
スターリンの××
さらに1944年4月には、弱点であった車体前面の装甲形状を変えた「後期型」が登場した。これにより防御力がさらに高くなり、ますます動くトーチカのようになっていった。
(後期型を「IS-2m」と呼称することがあるが、これは戦後に西側の研究者が勝手につけた名称で、ソビエト側ではこのような呼び方は全くされていなかった)
それでも一部のドイツ戦車兵は『わざと砲塔の防盾下部に当て、跳ね返った砲弾で車体天井を貫通させる』という高等テクを披露し、最後まで粘り強く戦い続けた。
しかし数で押し続ける『イワンの蒸気ローラー』の前には無力であり、1945年5月、ドイツは無条件降伏と相成った。
戦後のスターリン
戦後も改良が続けられ、「IS-2M」へと発展した。
これはエンジンを換装し、砲塔上部のキューポラ(司令塔)に12.7mm機銃が追加するなどした型である。
戦中はチェコとポーランド、戦後は中国、キューバ、北朝鮮に供給されたが、中東に供給されることはなかった。
IS-2はその後、IS-3やT-10へと発展したが、主力戦車は中戦車のT-34から発展したT-54が担うことになり、「重戦車」というカテゴリーは廃れる事となった。