KV-85
かーゔぇーゔぉーすぃぇみでぃすゃとぴゃーち
原型のKV-1と同様に、ソ連国防人民委員クリメント・ヴォロシーロフ(Климент Вороши́лов,КВ:KV)の名を冠する。
開発の契機となったのは、ドイツ国防軍が1942年に実戦投入したVI号戦車ティーガーI。
その8.8cm砲はソ連赤軍の戦車を一撃で葬り、逆に赤軍戦車の76.2mm砲は100mm厚の装甲で容易に防がれた。
そこで赤軍が開発したのが85mm戦車砲搭載の新型ヨシフ・スターリン重戦車・IS-1だったが、その生産体制を確立させる最中にあっても、前線の赤軍戦車兵は一刻も早い対ティーガー兵器を求めている...。
そこで、旧式重戦車KV-1Sの車体を改造、そこに車体の完成を待っていたIS-1の85mm砲塔を搭載するという方法がとられ、ここに急場しのぎの暫定的な新型戦車・KV-85が生まれることとなった。
搭載された85mm砲は徹甲弾を用いた場合に射距離1,000mで最大100mm厚の装甲射貫を可能とし、ドイツ軍のティーガーIやパンターを撃破するのに十分な火力を発揮した。
一方、装甲は砲塔こそ100mm厚と強固なものの車体が75mm厚と比較的薄く、ドイツ軍主力のPaK40対戦車砲やIV号戦車、III号突撃砲の火力を前に容易く貫かれる危険性があった。
また、原型から車重が+4トン程度増大したことで機動力は悪化しており、総じて戦時急造品の域を出ない不完全なものだったといえる。
1943年9月から独立親衛重戦車連隊で運用が開始されたKV-85は車体防御力の不足ゆえ容易に撃破されることもあったが、時には優秀な戦車兵によって強大な敵に力強く立ち向かうこともあった。
その代表例ともいえるのが、露版WikipediaのKV-85記事に記された第17軍の戦闘詳報の一編、1944年1月28日に展開されたレニングラードのテルマン国営農場防衛戦だろう。
第7独立親衛重戦車連隊のKV-85×3輌、SU-122×2輌、歩兵50名と対戦車砲2門が防衛を担っていた同地に対し、ドイツ軍はティーガーI×15輌、III号戦車・IV号戦車×13輌、および歩兵部隊をもって11:30から攻撃を開始したが、赤軍の一隊は建物や干し草に隠れつつこれを迎撃。
ドイツ側は大きな被害を受け、この正面突破を断念。13:00からは数的有利を活かした包囲殲滅戦に切り替え、農場の周囲を囲んで攻勢を強めた。
しかし、ポダスト中尉の指揮の下で赤軍戦車隊は果敢に抵抗、敵部隊の自由な機動をことごとく防止していく。
ドイツ戦車はつぎつぎと射撃位置を変更する赤軍戦車の攻撃に晒され、輸送車で進撃を試みるドイツ歩兵隊はSU-122の榴弾火力により一挙に蹴散らされた。
次第に包囲の輪も弱まり、赤軍戦車隊は20:00に包囲から脱出。22:00に自軍勢力圏へと帰還し、最終的な損害はSU-122×1輌(全焼)に留まった。
一方、ドイツの損害はティーガーI×5輌、IV号戦車×5輌、III号戦車×2輌、装甲兵員輸送車×7輌、対戦車砲×6門、機関銃座×4基、馬車28台、そして少なくとも3個歩兵小隊だった。
真偽はともかく...
この詳報の真偽だが、公式記録であることから実在性については担保されており、また自軍損害については正確と考えられる。
もちろんドイツ側の戦力および損害に関しては不確実ではあるが、それを考慮してもこの戦いがソ連側の戦術的勝利だったことは間違いないし、KV-85はその立役者といえる。
とにかく、KV-85はティーガーを前にただ蹂躙されてきた従来の赤軍戦車とは一線を画す存在だった。