開発経緯
PaK40は1939年から1941年にかけてラインメタル社が開発した対戦車砲である。
当初は開発優先順位が低かったが、バルバロッサ作戦でソ連へ侵攻を開始してみると、T-34/76中戦車やKV-1重戦車を始めとした強力な戦車に従来の対戦車砲では対抗できなかった。
かろうじて8.8cm高射砲と5cm PaK38などの強力な火砲で対処できた。
だが、配備されている8.8cm高射砲の4分の3は空軍の管轄にあり、陸軍でも大半は野戦高射砲連隊の所属で歩兵連隊の指揮下にあるものは戦車猟兵大隊に「重対戦車砲」の名目で配備されていたごく一部にすぎなかった。さらに、5cm PaK38では希少資源であるタングステン芯入り徹甲弾を複数発直撃させなければならなかった。
PaK40の量産は1941年11月に開始され、1943年にはドイツ国防軍の主力対戦車砲となった。
しかし一刻も早い強力な対戦車砲を求める前線部隊の要求には応えるために、鹵獲火砲を改修したフランス製M1897 75mm野砲の砲身とPaK 38の砲架を組み合わせた7.5cm PaK97/38と、ソ連製F-22 76mm野砲を改造した7.62cm PaK36(r)が配備された。
派生型:KwK40
4号戦車が装備したKwK40や3号突撃砲のStuK40も原則としてPaK40を原型としているが、弾薬や閉鎖器など様々な点で変更が加えられており、性能も別物になっている。例えば弾薬が別物になったため、砲口初速はPaK40の790m/sに対しKwK40では740m/sに低下している。
なお、わざわざ弾薬を変更した理由は、PaK40の弾薬の薬莢があまりにも長すぎて車内での取り回しが困難だったためである(KwK40では太くて短い薬莢になった)
PaK40と紛らわしい火砲として、ヘッツァーなどに搭載された7.5cm PaK39というものがある。これはPaK40の直接の派生型ではなくPaK40の派生形であるKwK40から二次的に派生したものであり、使用弾薬や性能はKwK40に準じたものとなっており、PaK40とは弾薬の互換性がない
実戦配備
PaK 40は基本的にPaK 38の拡大発展型である。
PaK 38に比べて威力は向上したがその分サイズと重量も増加したので人力による陣地移動は困難となり、地面の状況によっては不可能となることもあった。このため牽引車両は不可欠であり、機動力向上のために自走砲化が必要とされた結果フランスで捕獲したロレーヌL37牽引車両を改造したマルダーI、II号戦車の車体を利用したマルダーII、38(t)戦車の車体を利用したマルダーIIIが主力として活躍した。
東部戦線では重装甲のソ連製戦車に対抗するために運用されたが、その後は北アフリカ戦線やイタリア戦線、さらにはノルマンディー上陸作戦後の西部戦線でも使用され、ソ連製戦車よりも装甲が薄い傾向のある米・英軍戦車にも十分な威力を発揮した。
その後、8.8cm PaK43や8.8cm PaK43/41、12.8cm PaK44も開発されたが、威力向上と引き換えに重量も大幅に増加したために機動性は劣悪で調達コストも高かったので、終戦までPaK 40がドイツ軍対戦車砲の主力であった。
また、ドイツ以外ではフィンランド、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリアに輸出され、チェコスロバキアとアルバニアも戦争賠償として接収したPaK40を新しいソ連製対戦車砲が供与されるまで運用されていた。
諸元性能
口径:75mm
全長:6.2m
全幅:2m
重量:1,425kg
砲身長:mm(口径)
仰俯角:−5°〜+22°
左右旋回角:65°
運用要員:名
発射速度:14発/分(最大)
最大射程距離:7,678m(榴弾)/1,800m(徹甲弾)
生産期間:1941年〜1945年
生産総数:23,500門+6,000門(マルダー対戦車自走砲用)
装甲貫徹力(距離500mから垂直に着弾)
標準徹甲弾:132mm
タングステン芯入り徹甲弾:152mm