解説
フランスがM4シャーマンの車体にAMX-13の砲塔を載せて開発した仏国面的戦車。
エジプトに輸出され、第二次/第三次中東戦争(スエズ危機/6日間戦争)で運用された。
呼称は統一されておらず、メイン画像のような「M4A4/AMX-13」あるいは「M4A4/FL-10」などといったものがあるが、
・量産型は全車M4A4車体を利用していたが、M4A1車体を利用した試作車が1両のみ存在した
・運用時点で車体はエンジンが換装されていたため正規のM4A4ではなかった
などの点を加味し、本記事では「M4/FL-10」で統一する。
開発
フレンチ・シャーマン
戦後の1940年台後半、4年にも渡るナチス支配の影響で軍事力を大きく削がれていたフランスは、自由フランス軍の装備や米英からの武器供与、ドイツ軍の遺産を活用して機甲戦力をかき集めていた。
中でも特に多かったのが、戦中の活躍で知られるアメリカ製のM4シャーマン中戦車、その数約2,000両。
戦後戦車と比べれば性能不足は否めなかったが、当時のフランス軍にとっては貴重な兵器だった。
その後、1950年台にフランスの国産戦車開発が軌道に乗り始めるのに伴い退役が進められ、1960年台に強力なAMX-30主力戦車の実用化により、現役から完全に退くこととなった。
シャーマンの新顔と死の商人
(改造元のAMX-13 & M4シャーマン)
1955年、フランスは1,000両以上の退役済みシャーマンを抱えており、それらを他国へ売り払うことを検討していた。
しかし、旧式化の著しいこの戦車がそう簡単に売れるはずも無かったため、可能な限り簡単な改造で近代的な主力戦車に対抗可能な火力を与えるべく、量産体制の整いつつあった国産軽戦車AMX-13の揺動砲塔「FL-10」をM4シャーマンの車体に移植。
最小限の改造で最良の性能を実現したこの「M4/FL-10」は、対イスラエル戦争のために軍備増強中のエジプトへ50両が輸出されることとなった。
なお、この輸出と同時期に、フランスはエジプトの敵対国であるイスラエルの要請を受け、M4/FL-10とは別の火力強化型シャーマン「M-50」通称「スーパーシャーマン」の開発に協力していた。
特徴
- 揺動砲塔
縦軸に砲の照準を指向する際、砲塔ごと動かして仰俯角を取るという方式の砲塔で、揺動式砲塔とも呼ばれる。
戦中から戦後にかけて開発された自動装填装置の多くに共通する「砲の仰俯角を0°(=水平)にしないと装填機構を作動させられない」という欠点に対応すべく開発された。
NBC防御能力の不足という欠点、自動装填装置の改良・発展などにより、現代では廃れた技術となっている。
- 火力
搭載砲は、大戦後期のドイツ軍主力中戦車パンターが搭載したKwK 42を原型として、戦後にフランスが独自に発展させた61.5口径75mm砲「SA 50」。(75 Mle 50 または CN 75-50 とも呼ばれる)
弾名 | 弾種 | 砲口初速 | 装甲貫通力(距離/傾斜角) |
PCOT-51P | APC-T(被帽付徹甲曳光弾) | 1,000m/s | 170mm(1,000m/90°) / 110mm(1,000m/30°) |
(傾斜角は水平+x°で表記)
なお、この砲には正式名称「75 mm Semi-Automatique Modèle 1950」(1950年式半自動装填75mm砲)の通り、専用の半自動装填機構が用意されており、これを用いると12発弾倉を分間12発で発射することが可能だった。
- 防御力
実装甲厚は最大でも60mm程度、実質装甲厚でも約100mmと、大戦末期の戦車砲や戦後戦車の砲火力からするとほとんど無に等しい。
さらに、軽戦車用のFL-10砲塔はさらに装甲厚が薄く(最大40mm)、20mm機関砲にすら貫通されかねないものだった。
- 機動力
車体の原型はM4A4ながら、保守・整備の容易なM4A2の「GM 6046」ディーゼルエンジンを搭載したため、機動力はM4A2と同等のものだったと考えられる。
戦史
第二次中東戦争/スエズ危機 (1956年)
開戦時点でエジプト領ガザ地区のラファやシナイ北岸の要衝エル・アリシュに総数12両が配備されていたM4/FL-10は、侵攻してきたイスラエル軍と交戦。
明確な記録こそ無いものの、この侵攻に参加したイスラエル機甲部隊にはM-50が含まれていたため、両軍がそれぞれ装備していたシャーマンの末裔同士の戦闘があったと考えられる。
戦闘後、イスラエル軍はエジプト軍が放棄したM4/FL-10を鹵獲し、M-50仕様に改造して1975年まで使用した。
ちなみに、スエズ危機において、イスラエル軍はM4/FL-10の改造元であるM4A4とAMX-13の両方を運用していた。
英仏連合軍によるスエズ占領、イスラエル軍によるシナイ半島への大規模攻勢などで散々に叩きのめされたエジプトではあったが、時の大統領ナセルの活躍もあり、アメリカやソ連をはじめとする国際社会と国連の支持を得たことで敵対国の孤立化・停戦に成功。
1957年までに元の領土も取り戻し、さらに英仏イスラエルを相手に果敢に戦ったことから、アラブ世界の地位も確固たるものとなった。
2000年台、戦争中にラファからエル・アリシュへの進撃ラインに放棄されたM4/FL-10の残骸1両がエジプト軍に回収され、現在はエル・アラメイン戦争博物館にて展示されている。
第三次中東戦争/6日間戦争 (1967年)
エジプトとイスラエルの国境沿いに配備されていたM4/FL-10は、主に陣地から砲塔のみを出した状態(ハルダウン)でイスラエル軍を迎撃。
戦闘中、ガザのエジプト軍はM4/FL-10や野砲を使ってイスラエル領ネゲヴ砂漠の民間人居住地を砲撃するという非人道的行為を行い、イスラエル軍の集中攻撃を受けた。
その後、M4/FL-10はシナイ半島全域を占領したイスラエル軍に対するエジプト軍の反撃にも参加したが、特に戦果を挙げたという情報は無く、撃破された車両の写真が残るのみとなっている。
銀幕のM4/FL-10
「特攻ファイター!!MT要塞」というなんとも言えない邦題が付けられてしまった、1969年公開のイタリアの戦争映画「I diavoli della guerra」(戦争の悪魔たち)にて、M4/FL-10はドイツ軍戦車の役で登場した。
証拠こそ無いものの、これらの車輌の中には(車体のみとはなるが)第二次世界大戦と2度の中東戦争を戦い抜いた歴戦の猛者が含まれているのかもしれない。
関連タグ
兄弟/宿敵: スーパーシャーマン