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IS-2の編集履歴2012/09/06 00:48:16 版
編集者:H6354
編集内容:親記事変更と加筆

目指すは『猛獣狩り』!

1943年初頭、ソビエトでは新型戦車の開発が行われていた。

それが「IS-1重戦車」で、85mm砲を装備する44tの戦車である。

契機となったのは1941年末期のティーガーⅠ実戦投入であり、『あの重戦車に対抗できる戦車を!』という危機感に応えた戦車となった。

全面装甲は100mm、側面でも90mmというティーガーⅠをも上回る防御力が特徴である。

この85mm砲はT-34にも搭載される事、また射程外からティーガーⅠを撃破できない事から、IS戦車にはより強力な砲を搭載する事になった。(IS-1生産開始15日目の決定である)

100mm砲と122mm砲

候補には2種類の砲があった。

ひとつは艦載砲から発展した「S-34 100mm砲」、もう一つは野戦砲から発展した「D25-T 122mm砲」である。

それぞれ利点があり、S-34は戦車砲として優秀だが、まったくの新型なので弾薬の供給には不安があった。

D25-Tは性能が少し下だが、既に配備されている野砲と弾薬が共通で、しかも85mm砲の砲架に「ポン付け」できる利点があった。

結局は「D25-T 122mm砲」が選ばれる事になり、こうしてIS-2には122mm砲が搭載される運びとなった。

狩人の初陣

生産は1943年12月から始まっており、翌年2月から実戦に投入された。

だが搭載砲弾数は28発と少なく、戦闘の継続力が低い点が問題となった。(一応、解っていたことではある)

ただし、IS-1から強化された防御力はまさに鉄壁で、対峙したドイツ軍に大きな衝撃を与えた。

さらに、搭載砲が元々野戦砲だったことにも利点があった。

ドイツ戦車は数が少なく、歩兵を相手にする事の方が多かったのだ。

D25-Tの榴弾は強力で、威力を存分に披露することになった。

また弾頭の重量も重いので、榴弾が貫通しなくても衝撃で装甲が割れて、撃破できることもあった。(特にパンターには多かった事例だとか)

こういった傾向は並んで投入された152mm砲にもあり、貫通力が強いのとは別の意味で恐れられた。

スターリンの××

さらに1944年4月には、車体前面の装甲形状を変えた新型が登場した。(IS-2M)これにより防御力がさらに高くなり、ますます動くトーチカのようになっていった。

それでも一部の戦車兵は『わざと砲塔の防盾下部に当て、跳ね返った砲弾で車体天井を貫通させる』という高等テクを披露し、最後まで手強くあり続けた。

しかし数で押し続ける『イワンの蒸気ローラー』の前には無力であり、1945年5月、ドイツは無条件降伏と相成った。

戦後のスターリン

戦後も改良が続けられ、IS-2Mへと発展した。

これは砲塔上部の戦車長キューポラ(司令塔)に12.7mm機銃が追加するなどした型だが、中東には供給されなかった。(戦中はチェコポーランド、戦後は中国キューバ北朝鮮に供給された)

ソビエトが戦後に実戦投入せず、その全てはワルシャワ条約機構で保持する事となった。

IS-2はIS-3へと発展したが、その後はT-54などの新型戦車(主力戦車)に交替されて、

「重戦車」というカテゴリーは廃れる事となった。

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編集内容:親記事変更と加筆
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