代々、家に伝わっているので家紋(かもん/KAMON)と呼ぶ。
ということで、「これは家紋だ!!」と主張していたり、傍目から見てそう見えるものにつくタグである。
自由に描けばいいのよ!!
歴史(一般的な説)
始まりはいつも平安時代
家紋の原型は平安時代初期に始まり、後期には家紋として始まったとされる。
その時代、華やかに暮らしていた宮廷貴族達は牛車や調度品に「これは麻呂のでおじゃる」と冷蔵庫のプリンに自分の名前を描くがごとく、お気に入りの文様を付けていた。
それが、子孫に伝わることによって「継承性」を得て家紋が成立したのである。
ボクらの愛した武士の世
時は過ぎ、鎌倉時代に入っていくと、「戦場で目立たないと駄目だもん!!」という理由で、旗などに家紋が付けられるようになっていった。
つまり、武士階級にも家紋が広まったわけであるが、それは同時に、自己主張の激しい武士のおかげで、家紋の種類が大量発生したということでもある。
中には「これでホントにいいのかよ?」というようなデザイン的に優れない奇抜な紋もあった。
パックストクガワーナ
戦国時代に幾度目かの戦を繰り広げた後、徳川家康が日本のキングになり、江戸幕府を創立し、 260余年あまり続く事になった江戸時代の到来である。
武士達は、今まで敵をボッコにするファイターであったものが、意義を正して紳士ぶらないといけなくなったわけである。
おかげで、雑多であった家紋も整理され、紳士の紋章として適切なように円形とシンメトリーからなる優雅な形になることとなった。
ちなみにこの時代の流行として紋に「 ◯(輪紋) 」を付ける家紋が、かなり増えたりしている。(家々・家系によっては付けない所はある。)
ところで、このパックストクガワーナでは、民衆も家紋をつけることになった。
冠婚葬祭で「 紋付きを着なければならなくなった = 誰もが家紋を持っている 」時代の到来である。
江戸時代中期頃より、武士の間の家紋であったものが、民間でもつけられるようになったのである。それどころか「 家紋かっこいんじゃね? 」と思った町人が家紋という素材で遊びつくした結果、格式にこだわらない様々な紋が生まれ、それを見た武士が「 あの紋おもしろんじゃね? 」と使いだすという、まるで昨今のアニメと二次作品のような関係になってしまったのである。
近代から現代へ
明治維新を迎え、明治時代に入ってからは、というか戦後に特にであるが、家紋文化が衰退の一途をたどっており各々、各種業界が何とか頑張っているというような状況である。
しかし、明治から情報が全国に行き渡るようになったおかげで、家紋が全国共通の形を持つようになったのは特筆すべきことであろう。紋帖という紋の見本帳が出版されたのである。
「 平安紋鑑 」・「 紋かがみ 」・「 標準紋帖 」などの各種紋帖の誕生により、紋の名称や形が「だいたい揃う。」事になった。
だいたいっていうのは、各種紋帖自体に記載の紋名や形が微妙に違うからである。
描き方
冒頭で描き方は自由と言ったが、実は家紋を描くことを専門とする上絵師(うわ えし)という職業があり、そこに代々伝わる家紋の描き方のガイド「割り出し法」なるものが存在する。
それを使えば、円ツールと直線ツール、あるいはコンパスと定規で家紋を楽々描けるのであるが、まぁ、そんなもの知らなくても家紋は描けるのである。
宗紋(寺紋)・神紋(社紋)
仏教の各宗派・寺院や神道の神社のシンボルとして家紋に類する意匠の図形が使用される場合が有り、仏教の場合は宗派のシンボルであれば宗紋、個別の寺院であれば寺紋、神社の場合は「神紋」または「社紋(しゃもん)」と呼ぶ。
以下に主な例をあげる。
- 仏教宗派の場合:主に、その宗派の開祖の生家の家紋とされるもの。
- 皇室にゆかりが有る寺院の場合は、皇室のシンボルである「菊紋」や、その派生型を寺紋とする場合も有る。
- 神社の場合:祭神や神社に伝わる伝説に関係が有るもの。
家紋の種類
※ ここでは家紋の解釈を「家に伝わる」ではなく「日本の紋章」として、その種類の一端を紹介する。
定紋(じょうもん)・表紋(おもてもん):基本の紋・代表紋。家紋と言うと、大体これを意味する。
替え紋:主人筋から賜ったり、敵方から奪い取るなど、家紋を数多く持つ事が権力の象徴となった頃、家を代表する家紋として国に届けたものを定紋とし、それ以外を替え紋と呼び、非公式に用いられていた。「裏紋」・「別紋」・「控え紋」・「副紋」などと言った呼び名もある。
比翼紋(ひよくもん)/合成紋(ごうせいもん):家紋のデザイン構成の一種で、 2つ以上の紋を配列させたもの。または 2つの家が結びつく際に作られた紋。文字通り、 2種類の紋が合成された紋。江戸時代中期に庶民の間で流行した。紋帖には掲載されていないが、合成が重なり複雑なものも多く存在する。
遊び紋・洒落紋・個紋:個人を主張するお遊びの紋。個人一代限りが原則。
女紋(おんなもん):母の実家からの紋。主に西日本に見られる慣習。
加賀紋/伊達紋/大宮華紋:彩色されたり派手な装飾で囲まれたりした紋。
加増紋:主君から褒美として与えられた紋。
神紋/社紋/寺紋:神社仏閣に伝わる紋。
宗紋:寺の宗派ごとに定められた紋。
新紋(しんもん):明治時代以降に作成された比較的歴史の浅い家紋(紋章)のこと。
商号紋/屋号紋:主に店や企業が使用する紋。(ロゴタイプと同義。)
芸能流紋:主に歌舞伎役者や落語家(一門)・芸能文化の流派を表す紋。(ロゴタイプと、ほぼ同義だが、使用者によって実際の自分の家の家紋を使用する事もある。)
……等々。
興味のある方は一度調べて見られると良いかもしれません。
紋の総数
家紋の種類は一体いくらあるのか?
その答えは誰も知らないってのが真実である。 10万 ~ 20万とされている。
前述の紋帖にも、その一部のみが記載されているだけである。
しかも、「自由に作れる」・「家紋っていったらそれが家紋になる」ってんだから、数は増え続けるはずで・・・・・・一体、今はどのくらいになったのやらは正確には断定できない。
著作権(現行:創作者没後70年)など、その他の例外規定。
代々伝わる家紋には著作権が存在しない。(現行法で70年以上経った紋が大多数。紋帖掲載されていて、70年以内に創作されたと該当する紋は極少数。)
著作権が存在しなくても例外規定のような物があって出来ない。例:皇室の菊花紋(十六葉八重表菊)や宮家の紋、世界遺産に登録された寺社の紋など。
五七の桐は現在も政権担当者の紋されていて使用できない。ただし、通常の五七の桐とは意匠が異なる。
商用などでいろいろ起きる場合、紋章自体の著作権ではなく、商標登録(商標権)とか、そっち方面の問題である。
例:徳川の葵(三つ葉葵)の御紋そっくりな文様が、商標登録を試みられているとして茨城県のローカルニュースで一時騒がれた。最初は多少似ているが明らかに見分けがつく程度だったのが、登録物の入れ替え手続きを繰り返すうちに、本物とほぼ見分けが付きそうもないレベルのものにまで似せられていたので、「悪意があるのでは?」との地元民の疑念に繋がったもよう。
なお、この項は生半可な知識で書かれたので鵜呑みにせず、自分で調べることをお勧めする。余談だが、日本とは違い、西洋の紋章(特にイギリス)は紋章院がきっちり管理している。
2024年(令和6年)現在、商標登録され、商標権が有効な家紋
徳川氏:徳川葵(分家筋の紋も不可とされる。)
仙台伊達氏:竹に雀・仙台笹 - 伊達宗家第34代当主が商標登録を申請して受理された。
島津氏:丸に十字
真田氏:真田六文銭 - 2016年(平成28年)、長野県上田市に所在する呉服屋が商標登録していて、真田氏の子孫が登録したものではない
楠木正成 菊水
豊臣氏:五七の桐(太閤桐と呼ばれる紋のほうか?)
明智光秀:桔梗(水色桔梗か?)
後北条氏:北条鱗(三つ鱗)
蜂須賀氏:蜂須賀卍
小早川氏:三つ巴
かつて商標登録していたが商標権が失効した家紋(2024年(令和6年)現在)
※ 商標権は受理された日から10年間は有効である。引き続き商標権を保持する場合は「更新手続きと更新料」の支払いが生じる。支払わなかったり、商標権を手放した場合は商標権が失効する。
三船家:丸に木瓜
※ 昭和時代の俳優である三船 敏郎の三船家の家紋であり、1962年(昭和37年)三船プロダクションを設立した際、自家の紋を商標登録したが、後に商標権の更新手続きを行わなかった為、失効した。
上記以外で公衆の場で使うべきで無い紋
商標登録(商標権)や例外規定以外で使うと予期せぬトラブルが発生することがある。
その主たるものが暴力団(反社会的勢力)が用いる家紋(代紋と呼称している。)である。
各、暴力団の代紋の意匠は家紋をモデルとしてアレンジを加えたものだが、
中には、そのまま用いている所がある。
主に警察のロゴとして、使用され法律で制限を有する紋。
※ 軽犯罪法に定められている。これらの使用には細心の注意を要する。
- 旭光紋 - 全国の警察で使用。
- 武田氏:四つ菱(武田菱) - 山梨県内の警察で用いられる。
商標権登録確認サイト
※ 私的使用では問題無いと思われるが、トラブル回避のため、商標登録の有無については下調べを推奨する。
特許庁 特許情報プラットフォーム(J-PlatPat) 公式サイト(日本語)
関連イラスト
関連タグ
紋章 - 家紋と同世紀に誕生した。ドイツを発祥とし、東欧州を除く欧州の貴族家の紋として用いられる。