概要
1990年代になるまで、本来50番台の背番号はレギュラークラスからは遠い若手や2軍選手がつけており、プロ野球選手ならほとんどが若い番号を望むのが常識となっていた。
誰が最初につけたかはともかく、この番号が長距離打者のイメ-ジとして定着させた選手は間違いなく松井秀喜である。1992年に読売ジャイアンツに入団した際、王貞治のシ-ズン55本塁打を越えるようにという願いからつけられている。松井の成功以降、松井にあやかって背番号55をつける者が続出した(現在でもT-岡田など)。
松井以前にも、1989年に中日ドラゴンズに入団した台湾出身の大豊泰昭が松井とほぼ同じ理由で背番号55をつけている(大豊は中華民国籍の王に憧れており、入団後に一本足打法に挑戦していた)。
サッカー・Jリーグでは規約により原則として1~50までしか着用できず、よほどのことがない限りお目にかかることはできない。
NPBで実際に背番号「55」をつけている選手
※2024年10月末時点