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徳川茂承の編集履歴

2024-11-19 19:57:38 バージョン

徳川茂承

とくがわもちつぐ

徳川茂承とは江戸時代末期から明治時代の大名、華族。

概要

父は松平頼学、母は近藤氏、最後の紀伊国紀州藩主、官位は従三位、権中納言、爵位は侯爵


経歴

天保15年(1844年)に誕生、安政5年(1858年)に紀州家の家督を継ぎ翌年の安政6年(1859年)に茂承と名乗った、第二次長州征討の指揮となる、慶応2年(1866年)に将軍徳川家茂が死去し次期将軍に指名されたが一橋家徳川慶喜を指名した、鳥羽・伏見の戦いでは敗走した徳川軍を匿った疑いをかけられるが兵を新政府軍に渡し15万両を献上した、明治2年(1869年)に和歌山藩知事となるが廃藩置県によって東京に移住、明治17年(1884年)に侯爵に叙爵、明治23年(1890年)に貴族院議員、明治39年(1906年)に死去。


外部リンク

徳川茂承 - Wikipedia


関連タグ

大名 江戸時代 明治時代 紀州徳川家 西条松平家 紀州藩 侯爵

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