概要
坂東八平氏・千葉氏の一族で3代当主・常胤の次男・師常が氏祖で、師常が下総相馬郡を相続したのが家名の始まりとされる。
1189(文治5)年の奥州合戦で戦功をあげたことにより、陸奥行方郡(福島県南相馬市、飯館村)を与えられ、1323(元亨3)年に庶流の重胤が行方郡に移住したことで下総相馬氏と奥州相馬氏に分裂する。
下総家は国人として古河公方家や後北条氏に仕えたが、19代当主・秀胤以降は徳川家康に仕え、江戸幕府旗本(1,000石)として存続した。
奥州家は現在の福島県浜通り方面で勢力を伸ばし、戦国時代に伊達氏と争った。16代当主・義胤の時に豊臣秀吉の小田原攻めに参加し6万石の所領を安堵された。
関ヶ原の戦いでは旗幟をあいまいにしていたため一時改易となるが義胤の子・利胤のとりなしにより撤回。1611(慶長16)年に中村城(相馬市)を本城とし、以降相馬中村藩として明治維新まで続いた。
戊辰戦争では奥羽越列藩同盟軍に参加し、戦後処理で1万両を献納しなければならなかったが所領は安堵され、華族令施行の際に子爵に叙爵された。
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スーパークリーク 33代目当主和胤がスーパークリークの生産者。