概要
室町時代から幕末にかけて相馬中村藩を統治した相馬氏の本拠地。
工業や港湾が盛んでホッキ貝の水揚げで有名。
相双地区の行政機関の出張所が多い。
1954年(昭和29年)に1町7村の計8市町村の合併で誕生した。
データ
面積 | 197.79km² |
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人口 | 33,527人(2023年6月1日) |
相馬市を構成する旧地方自治体
1954年(昭和29年)に相馬市に統合された地方自治体は以下の通り。
元町
名称 | 解説 |
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中村町 | 1889年(明治22年)に中村・中野村・西山村の3村が合併して誕生 |
元村
現在住所に元村の名前は使われていないが、各小学校の名前に元村の名称が使われている。
名称 | 解説 |
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飯豊村 | 1889年(明治22年)に馬場野村・程田村・柏崎村・新田村・岩子村・南飯淵村・百槻村・大曲村の8村が合併して誕生 |
磯部村 | 1889年(明治22年)に立谷村・日下石村・磯部村・蒲庭村・柚木村・赤木村の6村が合併して誕生
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日立木村 | 1900年(明治33年)に磯部村の一部が分立して誕生 |
大野村 | 1889年(明治22年)に塚部村・長老内村・椎木村・大坪村・石上村・初野村・黒木村・小野村の8村が合併して誕生 |
八幡村 | 1889年(明治22年)に成田村・今田村・坪田村・富沢村の4村が合併して誕生 |
山上村 | 1889年(明治22年)に粟津村・山上村の2村が合併して誕生 |
玉野村 | 1889年(明治22年)に玉野村・東玉野村の2村が合併して誕生 |
史跡
名称 | 解説 |
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相馬中村城跡 | 中村に存在した相馬中村城の跡地
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相馬中村神社 | 平将門が建立したとされる神社
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涼ヶ岡八幡神社 | 八幡地区にある建武年間に建立された神社
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百尺観音 | 1931年(昭和6年)に建造が始まった磨崖仏
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交通
相馬の交通は、大まかに関東方面から宮城県方面を接続するルートと中通り・新潟県に接続するルートの2通りが主である。
道路
関東方面から宮城県方面を接続するルート
名称 | 解説 |
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常磐自動車道 | 三郷ICから亘理ICを結ぶ高速道路 |
国道6号 | 東京都日本橋から宮城県仙台市を結ぶ国道
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中通り・新潟方面に接続するルート
名称 | 解説 |
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東北中央自動車道 | 相馬ICから横手ICを結ぶ高速道路
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国道113号 | 相馬から仙南地域(宮城県南部)・山形県を経由し新潟県新潟市を結ぶ国道 |
国道115号 | 相馬から阿武隈高地を横断し福島市を経由して猪苗代町を結ぶ国道
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鉄道
常磐線 | JR東日本管轄の東京都の上野駅から宮城県の仙台駅を結ぶ路線 |
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霊山林道 | かつて原町営林署が運用していた森林鉄道
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港湾
海上交通としては、相馬港が貨物を主とし、燃料の他、木材・セメントの取り扱いをする。
計画としては、旅客船乗り入れに向けた整備を計画している。
大きな出来事
東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生し、東北地方を災害が襲った。
相馬も例外ではなく、地震・津波被害を受け、多くの被害を受けた。
津波は海から3km先まで到達し、海沿いは壊滅的な被害を受けた。
相馬市は、福島第一原発から30km以上離れていたため、避難指示の対象外であり、原発事故から避難してきた他の浜通りの人々の一部が新たな拠点とするケースもあった。
2年連続の福島県沖地震
2021年(令和3年)2月13日、福島県沖地震が発生。
東北に大きな打撃を与えたが、震源から近い相馬市は震度6強の地震を観測する。
相馬の人々で東日本大震災の際より揺れが大きかったと語る者は多く、実際に東日本大震災で観測した震度6弱を超えた震度であった。
この地震により断水や建物に被害が発生した他、常磐自動車道の相馬ICから新地ICの区間で土砂崩れが発生し、4日間通行止めとなった。
だが、この被害をあざ笑うかのような出来事が発生する。
それが、2022年(令和4年)3月16日に発生した福島県沖地震である。
まさかの2年連続の発生だった。
震度は6強を観測した他、震源も地震が発生した時間もそっくりな地震だった。
この地震で、相馬港に被害が出た他、落石により一部の道路が不通になったり、断水・建物被害も発生した。
文化
相馬野馬追
浜通りの北側にある相双地方で行われる騎馬武者の祭り。
相馬は御行列の出発地のひとつであり、総大将の出発地点でもある。
祭りは7月の3日間行われ、多くの騎馬武者が活躍する。
馬は、相双地方で飼われていたり、関東からのレンタル馬が使用されており、参加する馬の中には、過去に競馬場で活躍した元競走馬もいる。
海産物
福島県沖は、親潮と黒潮が交わる地点で、水産物が豊富であり、相馬にも海と隔てられた潟湖である松川浦にある松川浦漁港が設置されている。
有名なものだとホッキ貝があり、名産地とされる。
また2020年代頃から海水温上昇の影響で、従来はほとんどいなかったトラフグが多く水揚げされるようになり、新名物の「福とら」として注目されている。
仙台圏内の相馬
福島県に立地する相馬だが、宮城県仙台市の影響力の方が強い。
その理由は以下の通りである。
交通
中通り方面との比較
相馬から県庁所在地である福島市や都市圏を築く郡山市がある中通りの間は、阿武隈高地で隔てられている。
道路は国道115号や隣の南相馬から通る福島県道12号原町川俣線経由ルートが候補に上がるが、国道115号は、急カーブや急勾配、狭い道路と言った区間があったり、通行止めの可能性もあり、福島県道12号原町川俣線経由だと、走りやすくはなるが、最短で県道12号に到達しようとすれば、ぐねぐね道路を走ることになり、安定した道で県道12号に到達しようとすれば、2倍近い時間を要するなど不便である。
鉄道で向かおうとすれば、宮城県岩沼市にある岩沼駅で東北本線に乗り換えて、白石駅で福島方面に乗り換える手間がある。
その一方、仙台方面だとこうなる。
道路は国道6号と国道4号の道があり、同じ距離であるが、安定した道路であり、交通渋滞の点を除けば、スムーズに移動できる。
鉄道は、常磐線乗り換えなしで仙台駅に到達可能で、相馬駅から福島駅(2023年現在の岩沼での乗り換えの場合)の片道料金が1700円程で2時間もかかって到着するのに対し、相馬駅から仙台駅(2023年現在)の場合は、片道料金が1000円程で、1時間程度で到着と大きな差が出る。
以上の点から仙台圏の方が利便性が良く、仙台市のベッドタウンとして成立可能な生活圏であることが分かる。
ただ、これはあくまで以前の話である。
現在は、東北中央自動車道の相馬から福島間を結ぶ「相馬福島道路」が開通したことで、相馬から福島の間の利便性が向上し、中通りとの交流が活発化してきている。
とはいえ仙台圏も依然として生活において重要な地域であることは変わり無い。
いわき方面との比較
相馬から浜通り最南のいわき市は、国道6号や常磐線で直通しているが、仙台方面と比較し距離が2倍程ある事がネックとなっている。
この距離の長さは、比較せずとも分かる通り、到着時間や料金で大きく差が出てしまい、仙台方面に行く人が多い要因となっている。
放送局
相馬では、仙台圏のテレビ・ラジオがクリアに受信可能なため、仙台圏の放送局に馴染みがある人が多い。
以前の福島圏のテレビ放送局は、複数のキー局に加盟するクロスネットや放送局同士のキー局交換があったり、企業同士の小競り合いに巻き込まれて放送局の設立が非常に困難な混沌とした地域で、1980年代になるまで、テレビ朝日系列の福島放送とTBSテレビ系列のテレビユー福島の民法4局中2局が無かったため、一部放送は見れないものも存在したが、仙台圏は1970年代までに4局が開局しており、見たい番組が見れる環境が整っていたことから、利用した人も多いようだ。
一方、AMラジオだとラジオ福島の出力が弱く、逆にTBCラジオの方が聴きやすい環境であった。
2022年現在、テレビ局は民法4局が存在し、ラジオも2010年代以降にAMラジオのFM補完放送が始まり、スマホアプリのradikoもサービスを開始したため、福島圏の局も聴きやすくなっている。
相馬と南相馬の関係
相馬市と南部に隣接する南相馬市は、名前が似ていて、相馬野馬追に関係したりなど共通点が多いため、馴染みの無い外部の人々には混同されてしまうこともあるが、当然違う点もある。
例えば、仙台圏が近い相馬だが、南相馬は仙台圏といわき圏の中間に位置する(と言っても宮城県の地上波は普通に受信出来る)。
相馬野馬追でも、祭地があるのが南相馬で、相馬は総大将の出発地点である違いもある。
だが、相馬の真の似た者同士と言える相手は、南相馬の合併前に存在した原町市であろう。
原町市と相馬市は、1954年(昭和29年)に合併してそれぞれ誕生した市で、面積もほとんど変わらずと似たスペックをしていた。
高校もそれぞれの市から通学する生徒も普通におり、4月には相馬高校と原町高校の野球部の定期戦が行われているなど、ライバルではありつつも交流が盛んである。
相馬ゆかりの有名人
関連イラスト
関連項目
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