ファシズムとは
第一次世界大戦中から戦後にかけてイタリアにてベニート・ムッソリーニが始めた政治運動であり、一般的にはその傾向から極右とされている(ただし、実際には右翼的傾向も左翼的傾向も見られる)。
思想
この政治運動を信奉する人々は、国家の価値、あるいは政治、経済などの体制を「コーポラティズム(国家を生物の肉体にたとえ、社会的な階層により成り立たせるという考え方)」の観点に従って組織すべきだと考えている。どういうことかというと、国家は国家の価値を保つための強力な権限を持つ指導者、及びそれに従う機能的な組織からなるべきであると考える。
そのため、信奉者は「国家が個人のアイデンティティを与える」と考え、個人主義を排除しようとする。さらに「国家の頭にあたる政府に複数の考えは不要である」との考え方から、政治から複数政党を排除し、単一の政党による政治を推進し、自治すらも認めない傾向がある。
彼らは平等主義を否定し、権威に盲従する姿勢をとる。ファシズムは「上からの押し付け」ではなく、「民衆の運動」という形をとっていた。
ファシズム政権は、労働組合や共産党・社会党などを禁止し、自民族の優秀さを強調した。そのためファシズムは右翼とされている。ただし、自分たち以外はすべて左翼とみなすリバタリアニズムの論客などは、ファシズムも左翼としている。
「ファシズム」の狭い意味と広い意味
民主主義を否定し極端に国家主義的な体制は、イタリアで最初に成立し、その後、ドイツのナチスや当時の日本においても同様の体制が出現した。「ファシズム」はそれらの体制に共通する思想・運動・体制を指す言葉として用いられ、現在に至っている。
ただし、「ファシズム」は、民主主義を破壊するやり方や、軍事的・独裁的傾向を指す言葉として用いられたり、政敵をののしる言葉として用いられたりしたこともあった。
日本では
戦前の日本、とくに昭和期の大日本帝国もファシズム国家と見なされることがある。丸山真男は戦前の日本の支配体制を「天皇制ファシズム」であったとしている。
戦前は天皇が絶対不可侵であったが、ヒトラーやムッソリーニほどの権限を一人の人間が掌握していたわけではない。
しかし、戦前の日本がファシズムと無縁だったかというとそうではない。二・二六事件を起こした青年将校や、彼らに思想的影響を及ぼした北一輝は、天皇を明確な指導者としたファシズム体制を目論んでいた。近衛文麿らはファシスト・イタリア、ナチス・ドイツ、ソ連のような全体主義国家の台頭を見て「バスに乗り遅れるな」と日本の全体主義化を指向した(新体制運動)。
戦後日本でファシストを自称した者に笹川良一がいる。笹川はベニート・ムッソリーニを崇拝し、戦後の政治に隠然たる影響力を及ぼしていたといわれている。