事の発端はとある一つの絵の投稿による。
とある絵師が一枚の絵を描くが、
彼は一つの疑問に襲われた。
自分の描いたこれは果たしてエロなのだろうかと。
絵の内容は男子トイレで年端もいかない少女が自慰をするという、
人間の三欲の一つを刺激せずにはいられない代物なのだが、
この絵師は一つの理論を打ちたてた。
「皆がエロ絵を描いている
皆やっていることだから
これは一般の絵なのではないか」
描いている最中か後かは定かではないが、
このような統計学的な考えに至ったこの絵師は切れ者であると言わざるを得ない。
文化とはまさしく移ろうものである。
昨日の非常識が今日の常識であり、
今日の常識が明日の非常識になりうる。
この絵師の言わんとしている事は結論的に言うと正しい。
言わんとしている事は正しいが、この絵師が言う通り、
エロが『一般』というカテゴリーになるまで、
あと何十年、何百年かかるだろうか。
現在の所、エロと一般の区別は大きな隔たりがある。
それがエロをエロとする要因であるのかもしれない。
もし、
この先にエロが一般になる日が来る時、
果たして我々はエロに従来の魅力を感じるのだろうか。
文化の変化とは何かを与えるが、何かを奪うのである。
願うならば、未来のエロに良き変化を。
そう言えば最後に一つだけ記述しておかねばならない事がある。
『男子トイレで年端もいかない少女が自慰をする』
は、
どうあがいてもエロ。