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概要

正式社名はPenn Central Transportation Company。アメリカを代表する大手鉄道会社であったニューヨーク・セントラル鉄道ペンシルバニア鉄道の合併により1968年に誕生し、1969年にはニューヘイブン鉄道を路線網に加えたが、1970年に破綻した。この影響を受けて連鎖倒産した他の鉄道会社とともに、1976年にコンレールとして再建され、1980年代には経営を立て直す。コンレールは1999年にCSXトランスポーテーションとノーフォーク・サザン鉄道に分割され、かつてのペン・セントラル鉄道の路線はこの2社によって使用されている。


歴史

成立の経緯

戦後、航空機や自動車との競争、19世紀末に陸上交通を独占したことが問題視された歴史的経緯による様々な規制により、アメリカの鉄道会社の経営は徐々に悪化していた。

アメリカ最大の鉄道会社、ペンシルバニア鉄道も1946年に赤字を計上。その後も高コスト体質から脱却できず、経営は次第に傾いていった。一方、ペンシルバニア鉄道と競合するニューヨーク・セントラル鉄道は経営改革を順調に進めていたものの、1950年代末にはやはり単独での存続は厳しくなっていた。

1957年、ペンシルバニア鉄道はニューヨーク・セントラル鉄道と合併に向けた協議を開始するが、ニューヨーク・セントラル鉄道は合併に後ろ向きであった。ペンシルバニア鉄道の経営はすでに事実上破綻しており、また国がこのような独占につながりかねない大合併を承認する見込みは低いと判断したためである。1959年、ニューヨーク・セントラル鉄道は代わりにボルチモア・アンド・オハイオ鉄道およびチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道に合併を持ち掛けるが、合併後の主導権をめぐる対立から交渉は決裂した。このためニューヨーク・セントラル鉄道は1961年にペンシルバニア鉄道との交渉を再開。1968年、国は合併を承認し、ペン・セントラル鉄道が成立した。

崩壊

ペン・セントラル鉄道の経営は成立当初から深刻なものだった。合併のメリットであるはずの重複するサービスや人員の削減は進まず、事前の準備が不十分であったために列車の運行も混乱。資金の不足がそれに追い打ちをかけた。運行が継続できたのはひとえにペンシルバニア鉄道とニューヨーク・セントラル鉄道のネームバリューによって金融機関から多額の融資を受けられたためであった。

1969年には、経営の失敗から倒産し、他の民間鉄道会社から見放されたニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道(ニューヘイブン鉄道)を合併することとなり、経営はさらに傾いていった。そして1970年6月、ペン・セントラル鉄道は倒産した。当時、史上最大の倒産であった。

その後

アメリカ北東部の他の鉄道会社にもペン・セントラル鉄道の倒産の影響が波及し、連鎖倒産が相次いだ。アメリカ北東部の鉄道網全体が崩壊しかねないこの状況を受け、政府が後処理に向けて動き始める。当初は国有化の案もあったが、民間会社のコンレールを新たに設立し、同社が政府の支援を受けつつ、破綻した北東部の鉄道会社の路線を一元的に運行することとなった。1976年に成立したコンレールは経営の合理化を急速に進め、事業の立て直しに成功した。

また、この倒産はもはや旅客鉄道を民営で維持するのは不可能となっていることを示していた。これ以降アメリカの旅客鉄道は全米鉄道旅客公社(アムトラック)を始めとする公企業体による運営に舵を切ることになる。

一方、ペン・セントラル鉄道の倒産の原因の一つであった国による強固な規制の緩和にはなお時間を要することになった。1970年代、大手とされてきたミルウォーキー鉄道シカゴ・ロックアイランド・アンド・パシフィック鉄道が相次いで破綻したことで、1980年にようやく運賃設定や路線の廃止、売却、鉄道会社の合併への規制緩和が行われたのである。これにより業界全体の合理化が進み、アメリカの鉄道は息を吹き返していった。

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