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概要編集

前身の鉄道会社を含めると、1831年から1967年まで存在した。同じく大手鉄道会社で、営業範囲が重複していたペンシルバニア鉄道とは競合関係にあった。ニューヨーク側のターミナル駅であったグランドセントラル駅の駅舎は、今日でも名建築として親しまれている。

歴史編集

初代ニューヨーク・セントラル鉄道編集

ニューヨーク・セントラル鉄道の起源は、アメリカ最初期の鉄道会社の一つであるモホーク・アンド・ハドソン鉄道にさかのぼる。1831年に開通したニューヨーク州のオールバニ~スケネクタディ間の約25kmの路線が、ニューヨーク・セントラル鉄道の第一歩となったのである。同区間はエリー運河と並行しており、ニューヨーク州は運河を保護するため同社の貨物輸送に対し手数料を徴収した。このため旅客輸送中心となった経営は順調に推移し、貨物輸送も顧客から評価を得る。

同社、ユーティカ・アンド・スケネクタディ鉄道(1836年開業)、シラキュース・アンド・ユーティカ鉄道(1839年開業)、オーバーン・アンド・シラキュース鉄道(1838年開業)、オーバーン・アンド・ロチェスター鉄道(1842年全通)、トナワンダ鉄道(ロチェスター~アッティカ間、1842年全通)、アッティカ・アンド・バッファロー鉄道(1842年開通)の7社は、最終的にオールバニ~バッファロー間でエリー運河に並行する路線を形成することとなった。勾配を嫌う鉄道にとって、傾斜の緩い運河に沿う路線は理想的なものであり、合併の機運が高まるのは自然の成り行きであった。ちょうど鉄道が運河よりも優れていることが明らかになっていた時期であり、1851年にニューヨーク州による鉄道貨物輸送への手数料が撤廃されたことも合併を後押しした。こうして1853年、(初代)ニューヨーク・セントラル鉄道が誕生することとなるのである。

「鉄道王」ヴァンダービルトの時代編集

これ以降ニューヨーク・セントラル鉄道の発展に大きく貢献した人物として、コーネリウス・ヴァンダービルトを外すわけにはいかないだろう。水運事業で成功し、財をなした彼は、鉄道こそがこれからの交通の主力になると考え、後半生は鉄道への投資を積極的に行った。世界初の路面電車会社であり、マンハッタン島とハーレム地区を結んだニューヨーク・アンド・ハーレム鉄道(現在のメトロノース鉄道ハーレム線)、およびハドソン・リバー鉄道(現在はペンシルバニア駅への連絡線となっている)を買収したヴァンダービルトは、1867年、初代ニューヨーク・セントラル鉄道を買収。ハドソン・リバー鉄道と合併させてニューヨーク・セントラル・アンド・ハドソン・リバー鉄道を発足させた。1871年にはニューヨーク側のターミナル駅としてグランド・セントラル駅が完成。その後、ヴァンダービルトが1877年に亡くなったのちにも数多くの鉄道会社を傘下に収め、中西部のデトロイトシカゴへと路線網を拡大した。

2代目ニューヨーク・セントラル鉄道編集

20世紀に入ると、マンハッタン島内の路線の安全性が問われる出来事が起こる。1902年、グランド・セントラル駅(当時は地上駅だった)手前のパークアベニュートンネル内で列車追突事故が発生、死者17人を出す惨事となった。原因はトンネル内に充満した蒸気機関車の排煙のため信号が見えにくくなっていたことであった。再発防止のため、ニューヨーク・セントラル・アンド・ハドソン・リバー鉄道はこの区間を含むニューヨーク近郊の路線を電化することを決定。この事故を受け、ニューヨーク市が市内での蒸気機関車の運行を禁止する法律を制定したこともこれを後押しした。電化は直流660V、第三軌条方式で行われた。

こののち1914年には、ニューヨーク・セントラル・アンド・ハドソン・リバー鉄道と傘下の鉄道会社が合併し、(2代目)ニューヨーク・セントラル鉄道が成立する。このころがニューヨーク・セントラル鉄道の黄金期だったといえるだろう。「20世紀特急」をはじめとする著名な長距離列車を数多く運行し、1930年代には流線形車両を導入するなど、アメリカを代表する鉄道会社の座に君臨していた。

衰退と消滅編集

第二次世界大戦後には、自動車や航空機との競争が一層激しくなり、経営環境は厳しくなっていったが、無煙化、CTCの導入、貨物ヤードの自動化などのコスト削減を進め、比較的良好な経営を維持していた。けれども1950年代後半には、全米の他の鉄道会社と同様に、そうした努力もついに限界に達した。鉄道各社は競合する会社との合併を模索し、政府もこのような合併を承認するようになった。ニューヨーク・セントラル鉄道もこの流れの中で、長年のライバルだったペンシルバニア鉄道と合併することになる。合併は1968年に行われ、ペン・セントラル鉄道が成立した。

けれども両社がそう簡単に協力に転じるはずもなく、ほとんど経営再建を果たせないままペン・セントラル鉄道は1970年6月21日に破綻してしまった。この影響は北東部の鉄道会社全体に波及し、大量の連鎖倒産が起こった。これを受けて政府が後処理に向けて動き始める。まず1971年には、長距離の旅客輸送が公営企業の全米鉄道旅客公社(アムトラック)に移管される。残った貨物輸送については、民間会社のコンレールを新たに設立し、同社が政府の支援を受けつつ、破綻した北東部の鉄道会社の路線を一元的に運行することとなった。1976年に発足したコンレールは比較的順調に経営状態を回復していく。1983年、継続していたニューヨーク近郊の旅客輸送をニューヨーク州都市交通公社(MTA)の子会社であるメトロノース鉄道へ移管し、1980年代の終わりには貨物部門で黒字が出るまでになった。

最終的に1999年、コンレールはCSXトランスポーテーションノーフォーク・サザン鉄道に分割吸収され、かつてのニューヨーク・セントラル鉄道の路線は現在主にCSXトランスポーテーションが所有している。

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