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ETR300

せってべろ

イタリア国鉄の特急用電車。日本の鉄道のデザインにも様々な影響を与えた。
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概要編集

戦前に導入されたETR200形電車に代わる看板列車として導入された、戦後イタリアの鉄道を代表する名車である。イタリアのカードゲーム「スコパ」に由来するセッテベロの愛称が定着しており、車体にもトランプをデザインしたロゴが書かれている。

構造・内装編集

7両固定編成で、1両目と2両目、3両目から5両目、6両目と7両目はそれぞれ連接構造となっている。3両目は食堂車、4両目は厨房、5両目は荷物車、残り4両は1等車という構成となっていた。客室はすべて定員10人のコンパートメント(向かい合わせになった3人掛けのソファの間に、4脚の椅子を設置)であり、通路は車体の片側に寄せられている。これにあわせ、1両目と2両目、6両目と7両目の貫通路も車体の片側に寄っている。また最大の特徴である先頭部の展望室はフリースペースとなっていて、客室よりも簡素な内装であった。

営業最高速度160km/h(のちに200km/hに向上。後述)と性能も申し分なく、まさにイタリアの鉄道技術とデザインの集大成といえる車両であった。

当初は8編成製造される予定であったが、コストなどの問題から3編成の製造にとどまった。内装を一般的なクロスシートとし、中間の3両を省略したETR250系が代わりに4編成導入されている。

運用編集

1953年に導入されて以来、ローマ~フィレンツェ間などの幹線の特急列車で活躍した。1969年にはモーターの換装を受け、営業最高速度が200km/hに向上。1974年からはTEEの運用にも入るようになった。1977年にはローマ~フィレンツェ間に高速新線が開通し、ETR300はその性能を遺憾なく発揮した。しかし1980年代に入ると老朽化や陳腐化が顕著になり、1984年に特急運用から撤退。その後は準速達列車の運用に入ったのち、1992年に定期運用から退いた。

同年第1編成は解体され、第3編成も1998年に解体された。第2編成は特徴のあった内装を通常の車両と同様に変更する改造を受けて貸し切り用の列車として運用を続け、2004年に現役を引退。部品取りに使われたのち、雨ざらしのまま放置されていたが、2016年に民間財団による復活計画が始まった。必要な部分は近代化を図りつつ、できる限り元のデザインを復元する予定(日本でいえばSLやまぐち号35系4000番台客車に近い)で、2020年代中には再び本線を走るETR300形の雄姿が見られると期待されている。

日本への影響編集

戦後日本の鉄道界は、近代化を図るにあたって地形条件が似通ったイタリアの鉄道を大いに参考とした。中でも名古屋鉄道(名鉄)の7000系パノラマカーは前面展望車であるETR300形に強く影響を受けており、最初期のデザインはETR300形を明白に意識したものとなっている。また国鉄151系のボンネットや0系新幹線の先頭部も、ETR300系の特徴的な流線形を参考としたといわれている。

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